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2018-01-01-3

 「何で応援するの?」
 と聞かれた時には、
 「馬鹿だから。」
 と答える事にしている。便利な言葉だ。ほとんどの場合、この手の質問をしてくる時点で、相手は躰を張って応援する行為を小馬鹿にしているから、この主語を確定せずに先回りし、縦パスのコースを切った答えは効果的だ。質問した側は自分がその主語の上に足を踏み外してると気付かず、駄弁を連ね、吐いた唾を飲み続ける事になる。良い気味だ。将来を担保にしてまで遠征に私財を投じる程の熱いサポなら、そんな薄野呂うすのろに喜んで応援の意義を啓蒙する処なのだろうが、俺はミイラ捕りを付け狙うミイラじゃない。待ってましたとばかりに、有りっ丈の美辞麗句でクラブ愛と地元愛をギフトラップしてそそのかす位なら、湶さんに毒林檎を突き付けられて睨まれていた方がグッと来る。そもそも現場の実働応援が必要かどうか何て、当事者なんだから常に自問自答している。それなのに、
 「Jリーグの応援とか所詮ヨーロッパとか南米の猿真似じゃん。イングランドのプレミアとか、アメリカのメジャーリーグ、NBA、NFLとか、オーガナイズされたスタンドの応援がなくても、天文学的な興行収益を上げて成功しているプロリーグってある訳じゃない。メジャーリーグの緊張感漲る静寂とワンプレーに爆発する大歓声のコントラスト。矢張り本場は違うよね。日本のプロ野球の応援なんて五月蠅うるさいだけ。フィールドオブドリームには程遠いね。プレミアのサポーターとか試合中に即興で作ったチャントを、スタジアム全体で合唱したりするじゃない。監督やフロント批判とか、ライバルクラブへの挑発とか、捻りが利いててさあ。ああ言うのは猿真似の応援じゃ出来ないよねえ。」
 等とたり顔で語る、外国気触かぶれの売国根性に冒された小蠅が、年がら年中、ゴール裏には紛れ込んでくる。無論、
 「じゃあ、日本のサポーターを批判するチャント、今此処ここで何か歌ってみろ。」
 と返し、節操のないスパムはワンクリックで配信停止だ。偏狭な欧米史観から抜け出せず、余所の国の話しを、自分の手柄の様に語る奴にろくなのはいない。自分の産まれ育った国が有機的に創造した物より、余所の国から、特に欧米からほぼ無審査で輸入した既製品に、自分を知的に見せたくて飛び付くのは、まやかしの煌めきに目移りしているだけで、鍛え上げられた審美眼が無いからだ。甲子園の応援を目の当たりにした在日米人の多くが、野球に対する日本の情熱や文化に感服しているし、日本のサッカーファンはプレミアの客の様に試合を投げてサッサと帰ったり、黒人選手を猿呼ばわりしたり、スタジアムの内外で死者を出したりしない。余所の国から見たら、日本も立派な世界だ。TVゲームと海外サッカーを細分化し、ちまちまジグソーパズルをしてるだけの分際で、釈迦に説法もはなはだしい。応援は誰にでも出来る。現場ってのは真に平等なステージだ。音楽や文学もそうだが、実践を伴わぬ批評ほど虚しい物はない。他にも、
 「広島アジア大会から、代表の試合でウルトラスが本格的に活動し始めたとか言っても、日本の場合さあ、サポーターって言う存在の出所は、プロリーグを立ち上げる時に協会が担ぎ出した、耳障りの良いキャッチコピーからな訳じゃない。地域密着とか、スポーツで人生を豊かにするとか言う理念も、海の物とも山の物ともつかなかったサッカーの興行を、新しい何かに見せる為の一つの方便でさあ。実際、協会に先見の明はあったと思うよ。プロ野球との差別化の為に持ち出した、元々影も形もなかった、サポーターって言う目新しいアイデンティティに、皆が飛び付いてここまで来れたんだから。でも所詮、サポーターってのは施政者があつらえた借り物、仕組まれた熱狂に踊らされてるだけなんじゃない?君達には、そう言う自覚とかってあるの?」
 と言った具合に、お前等は間違ってるから俺は正しいと、他人を否定する事でしか、自分を肯定する材料がない奴とか、素直に仲間に入れてくれてと言えない奴が、一々突っ掛かってくる。これはサポーターという属性が滋養に溢れている証だ。寄生虫にとって宿主は健全でなければならない。死んだ犬に蚤はたからない。
 チームを応援するとは何なのか、スタンドでの真の応援とは何か。オーガナイズされた応援って必要なのか。そんな物に答えなんてない。何処までが雑音で何処からが音楽か、ストラトとレスポールは、エレキとアコギはどっちが良い音か何て、聞く方が野暮だ。プレミアや北米プロリーグの観客一人一人から自然発生する、成熟したリアクションによって醸成された、脚色や虚飾のない迫真の臨場感を持て囃すのは簡単だ。そんな物は雲が白い、烏が黒いと言ってるのと変わらない。ワンプレー毎に静寂と起爆を繰り返す、有りのままのスタンドの豊穣な深呼吸に対して、オーガナイズされた応援は、自ら科した過呼吸に溺れ、連打されるドラムも、声を揃えたチャントも、ウルトラスが粗造するプロレス的煽りも、競技の本質を理解していないが故の過剰演出なスポーツ実況や、疲弊した地方都市の空元気な街興まちおこしの異母兄弟でしかない。そう喝破する位の慧眼けいがんでなければ、例え背後から撃っても弾は当たらないし、猫の尾を踏む事すら出来ない。それに、応援のスタイルや定義や意義なんて、今や俺にとって大した問題じゃないのだ。
 実働応援は麻薬だ。人類が溺れ依存する文明の様に、激越な快感が俺を惑わせる。単独応援を主戦場しているともなれば、その中毒性は計り知れない。思いの儘にコールを繰り出して、ワンプレー毎に選手を鼓舞し、自分の声で、マレットの一撃で選手をき動かす、夢幻の実感を味わえる至福の90分。会場入りから始まる、観客、クラブスタッフからの歓待、試合後、選手の方から求められる握手、スタンドのリスペクトを抱え切れぬほど独占出来る優越感も格別で、一国の主になった気分だ。備忘録程度にアップしていたブログのアクセスは飛躍的に伸び、女子の代表戦でも応援の中核を担い、スタンドの人垣にそびえるサポーターのヒエラルキーを一気に駆け上り、その頂から更に、解き放たれたエゴは翼を広げ、狂おしく舞い上がる。
 一廉ひとかどの人物に生まれ変われた、ようやく本当の自分に巡り会えたという昂揚。行き場の無かった我欲が摑んだ、ゴール裏の栄進利達。その高見から望む絶景に眼がくらみ、俺は何時しか打ち捨てた筈の自己愛に獅嚙憑しがみつき、卑しさに押し流され、再び人を物としてあしらう魔道へと迷い込んでいった。どの現場に足を運んでも一目置かれ、この身一つではさばき切れぬ程の溢れ返る交友の中で、俺は無意識の内に人を選別した。
 「アッ、うぃッス。」
 その一言で、躰を張って応援しない者達を、アウェイの遠征に参戦しない者達を、ゴール裏の力学から零れ落ちた者達をシャットアウトし、蚤や虱を潰した処で殺生には当たらないと、落人おちゅうど風情と眼が合えば、
 「オマエ等全員、銀河系から出て行け。」
 と弾劾し、各クラブのゴール裏を仕切るリーダー格とのみ肩を並べ、盛り場に繰り出しては、
 「俺の生中なら何時でも飲み放題だぜ。」
 と弾け続けた。そして何時しか、クラブと女子サッカーのサポートを口実に、スタンドで我が物顔で闊歩する優越感を虚栄心を満喫し、その地位を失わぬ為に、ゴール裏のやさぐれた伏魔殿ふくまでんで繰り広げられるいさかいや醜聞から眼を逸らして、スタンドを私物化し、むさぼった。初めてマレットを揮った純粋な衝動は、遠い日の花火。女子の代表戦でゴールが突き刺さり、スタジアムがエクスタシーの土石流に呑まれ、隣り合わせた無名の観客同士が揉みくちゃになって抱き合い、人と物と空間と音と光の境界線を超えて、怒濤の日本コールへと一体化する永遠の瞬間すらも、自分の掌の上で転がしている気になっていた。生まれ変わったと思ったのは錯覚だった。俺はこの世界と自分自身を疎外したまま、独りで発情し続けているだけだった。何故応援するのか。そんな事を聞かれて、偉そうに答える身分では無い。サポ活は嘘を吐かなきゃ立ってられない、俺のい棒になっていた。そして、享楽的なスタジアムライフにうつつを抜かした、建前だけの応援を密告する様に、招かざる客はひそやかに訪れた。
 
 
 「女学館が二部に落ちたのは、クラブを付け狙うハイエナ達の所為せいなんです。」
 
 
 クラブが運営しているサッカースクールに通う子供の父兄から、にわかには信じられない話しをダイレクトメールで打ち明けられた。クラブは乗っ取られようとしていた。余りにも荒唐無稽で、行き当たりばったりの朝ドラとしか思えなかった。去年のシーズン途中、サッカースクールの運営で提携していた、ルブランと言うスポーツビジネス企業が、内の社員を選手登録して試合に出してくれと行き成り言い出した。当然、そんな事が出来る訳がない。クラブはその意図が読み取れず、不審に思いながらも丁重に断った。するとルブランの態度が豹変し、様々な契約不履行を並べ立てて民事訴訟を吹っ掛け、クラブを捻伏ねじふせに掛かったと言う。W杯優勝で知名度が上がった女子サッカー。その一部リーグに所属していると言う商品価値とは裏腹に、女学館はJクラブや自治体の後ろ盾のない零細なNPO法人だ。脇の甘いクラブ組織を見透かし、簡単に乗っ取れるものと思ったのだろう。相手は福岡のプロバスケットボールチームも配下に置く等、手広くやっている会社で、クラブ運営の実績を作ってから、会社を高く転売しようとか言う魂胆の香具師やしが仕切っていた。調べてみればJFAとも以前揉めていて、「スポーツを通し、心身の健やかな成長を促し、子供達の未来の可能性を拡げる。」等と綺麗事をかたる追い剥ぎでしかなかった。
 訴訟を起こされてする智力も事務力もないクラブはただ狼狽うろたえるばかり、残留争いの渦中にあって、選手は対応に追われ練習する事すらも儘ならぬ状態で試合に臨み、黒星を積み重ねていった。降って湧いた訴訟に立ち向かい、返り討ちにしてくれたのは、スクール生の父兄の有志達で、中でも法律に明るく陣頭指揮を執ったのは、アウェイの試合にスクール生の小梅ちゃんを連れて応援に来る尾形さんだった。鳴り物応援をしている俺の後方に陣取り、奥さんと小梅ちゃんの三人で肩を並べ観戦する、尾形さんの包容力のある眼差しに秘した才智を垣間見、一廉ひとかどの人物であろうと想像はしていたが、まさか、今年になる迄、そんな事が起こっていて、クラブの為に身を粉にしていたとは露も知らず、俺は試合の合間に小梅ちゃんの遊び相手をする位で、後はピッチの中の事しか頭になかった。目先の勝ち点を計算するばかりで、人に言われる迄クラブの本当の窮地にすら気付かずにいたのだから、お里が知れる。
 地蔵組。日頃座って試合を観てるだけで、躰を張った応援をしない連中の事をそう呼び捨てている。ゴール裏の矜持が、淫らな奢りとなって舌を突く俗称だ。サインや写真を求めて試合後選手に寄生するサイン厨に、付け焼き刃の持論を展開して、崖っ淵の知性をひけらかす事に血道を上げる戦術オタク。そんな試合を見学し、選手の尻を付け廻しているだけの奴等が何人束になっても、物の数じゃない。立ち上がって声上げ選手達を奮い立たせる。瞬間毎にスタンドで起爆し、勝利の手綱を鷲摑む。沈黙は罪だ。そうゴール裏の正義を振り翳し、地蔵組だ背広組だと十把一絡じゅっぱひとからげで見下していた。この世界でちょっと良い顔になって自惚うぬぼれ、スタンドを貴賤の寸借すんしゃくで捉えていた。処がだ、
 恰幅の良い体躯でどっしりと席に腰を据え、軽く手拍子を合わせる程度で黙って観戦していた尾形さんこそが、海千山千の手練てだれを相手に、智慧ちすいの限りを極めた座学で応酬し、返り討ち、本当の意味でクラブを支え、サポートしていた。
 クラブ乗っ取りの話をスクール生の父兄から打ち明けられた時、俺は完全に思考が停止した。閉鎖されて誰もいないスタジアムに独り取り残された様な錯覚。壊れたファミコンを直そうとケースを外したは良いが、密集する集積回路の造形と文様を目の当たりにして、頭の中が真っ白になった中二の夏休み。余りにも無力でちっぽけな自分は、その時から何も成長していなかった。学のない自分にはどんな訴訟を吹っ掛けられたのかすら理解出来ない。その訴訟を迎え撃つのに、何処の窓口で、どんな手続きをして、何の書類や資料を用意して、その費用を幾ら用立てしなければならないのかすら、皆目かいもく見当が付かない。実業の世界は天津神あまつかみの住む高天原たかまがはら。スタンドの案山子かかしは棒立ちで、ただ悠然と流れる雲を首が痛くなるまで見上げているしかない。
 現場での実践こそが総てだと、自分の声がクラブと言う御輿みこしを担ぎ、引っ張っていると思っていた。しかしそれは、自分が何かの役に立っていると言う、自分の存在の証が欲しくて、そう思い込み逆上のぼせていただけの事。所詮自分は宴席の太鼓持ち。スタンドのお飾りでしかなかった。ゴール裏で幾ら声を枯らした処で、下手が数撃つ誤爆の空騒ぎ。尾形さんは黙して語らず、座して山を動かしていた。世界は座学で動いていた。それこそが総てだった。
 
 
 
 スマホの着信が鳴った。ポケットから取り出すと、ボロボロに擦り切れたマスコット人形が、千切れかけたくびをストラップの紐で吊るし上げられながら、身悶みもだえる様に姿を現した。初めてマレットを握ったあの日、湯元のママからプレゼントされて以来、片時も離さず総ての現場で苦楽を共にしてきた。どれ程の勇気を与えてくれたか判らない一騎当千のマスコット。それが今では、片目を失い、手首がげ、市中を引き回されて息絶えた罪人にしか見えない。マスコットの崩壊した表情を見詰めながらスマホを耳に当てると、岩井さんがいきなり用件を切り出してきた。
 「河瀬君とイックンが戻ってきてさあ、今、レイズのゴール裏の端の処に居るんだよ。バックスタンド側。」
 レンジの狭いスピーカーから聞こえてくるのは、平素な落ち着いた声色だったが、岩井さんが話を終える前に席を立ち、コンコースを駆け出していた。試合中に解放され、今スタンドに居る位なのだから、大したおとがめでもなかったのだろう。そうと判っていても、気がいて仕方ない。五号球の行方に一喜一憂する観客の背後を縫って、スタンドの白熱に逆走する。コンコースがなく、狭い立ち見席で密集しチンチンに臨界しているレイズのゴール裏を通り抜けるのはまずい。コンコースのあるエレーラのゴール裏からバックスタンドに、大回りするしかない。放送ブースを横切ると、前方に紅いジャージが二つ眼に入った。真逆まさかと思う間もなく、女学館の8番からレイズの8番に転生した、麻木の端正な聡貌そうぼうに焦点が突き刺さる。少しやつれた頬が女学館でプレーしていた頃のあどけなさを削ぎ落とし、大人びた色香が芽生え始めていた。一瞬の出来事で息を呑む間もない。麻木の拡散していた瞳孔も俺の視線を捉えて収縮し、頬に射す影が硬直して足が止まった。こんな処で俺と出会でくわすとは思ってもいなかったのだろうが、こっちにしたって拍車の掛かった折りも折りだ。立ち止まろうか逡巡する事も、瞳の奥を探り合う猶予もない。心も躰も勢いが付いている。会釈えしゃくの一つも交わさず一気に駆け抜け、振り返ったら負けだと自分に言い聞かせギヤを上げた。
 脳裏に焼き付く、華やかで芯のある瞳。氷結した表情すら劇中の一場面の様に絵になる処は、湶さん同様、美の寵愛に浴している証だ。紅一つ引かぬ素の面差しが解き放つ可憐な光彩。内省的な所作を纏った、玉響たまゆらの愁いが果敢無はかなうるわしい。
 初めて麻木を見たのが奥秩父で中一の時。将来性を見込んで遠征にも帯同させていたのだろう。当時、女子の二部の試合ともなると中学生が試合に出るのもさほど珍しくはなく、取り立てて可愛いという印象もなかった。その年、藤枝のショボイ方の競技場で今日の様な炎天下に組まれた清水戦では、
 「向こうが何か言ってきても、無視すれば良いから。」
 とカンクローからハッパを掛けられ後半から入ったにも拘わらず、相手選手と軽く交錯しただけで、ベッタベタに平謝りし、僅かな出場時間の中でキラリと光る処もなければ、試合の流れに上手く乗る事も出来ず、ロスタイムに迷い込んできた野良犬の方が、縦横無尽にピッチを駆け回り存在感があった位だ。
 あの日の藤枝は、バックスタンドの芝生席全面を怒濤の横断幕が埋め尽くしていた。観客が百人にも満たない、山奥の女子の二部の試合にも拘わらず、清水サポの張り出した、Jのトップチームと見紛うばかりの10mオーバーの雄々しきバンディエラの数々。山裾をなぞり吹き下ろす熱風をはらんで波打つその様は圧巻で、一方的なベースボールスコアも酷暑も、アクセスの酷さも、麻木の凡プレーも霞んでしまった。身の丈を越える雄渾なゴシックの塊が横断幕に踊り、物質化したチームロゴが照り付ける太陽よりも熱く、俺は場末の英雄に痺れ、後は北京ダックの様にふくはぎが陽に焼けていた事だけを覚えている。
 無口で、ナヨナヨしていて、髪を短く切る度に旋毛つむじが逆立ち、コスプレを着せられているみたいに女子の制服が似合わず、兎に角ナヨナヨしている癖に、結婚したい男性のタイプには“お金持ち”と書いて憚らない末生うらなりが、今では名門レイズとヤングなでしこのお姫様で、誰それの後継者だのと騒がれているのだから、何処までがさなぎで何時から蝶だか、十代の選手は目利き泣かせだ。
 「アジア予選で負けて大泣きしてたの、お前だって見ただろ。励ましてやるくらいしろよ。」
 試合前の塩爺の嗄れた声がスタンドのコールと手拍子を迂回して脳漿のうしょうに滲み出し、側頭葉の皺を伝って滴り落ちる。
 去年日本で急遽代替開催されたU-20W杯。育成年代の大会であるにも拘わらず、なでしこバブルの余勢を駆ってゴールデンタイムに中継されたヤングなでしこの試合は軒並み高視聴率を叩き出し、日韓戦に至っては関東地区で最高視聴率25%を記録した。U-20W杯の壮行試合として組まれたU-20カナダ代表戦の視聴率で大コケし、周囲から浴びせられた嘲笑を振り払って釣り上げた二匹目の泥鰌どじょう。選手のビジュアル重視の番宣をゴリにゴリ押して賭に勝った大手キー局は、早速三匹目のドジョウを狙い、来年カナダで開催されるU-20W杯の放映権を買い占めた。ビジュアル重視の前宣伝は更に豪奢ごうしゃを極め、青田刈りどころか早苗刈りの様相を呈した美少女達の競演の中心に、麻木が祭り上げられていた。
 マスコミが求めるのは誰もが一目見て判る、キラッキラのスターだ。若ければ若い程良い。いなければ、見てくれの良いガキにそれっぽいキャッチコピーをラベリングして出荷しておけば何とかなる。本物の見分けが付かない、メディアの垂れ流しを真に受けてる馬鹿にはそれで十分だ。スポーツ番組や朝の情報番組で繰り広げられる、密着取材と称した、日の丸アイドルのイメージビデオ。視聴者の軽薄な嗜好に同調し、脚色と編成を練る地上波の悲哀と、スターシステムの発射台にキャプテンマークで縛り付けられ藻掻く独りの女子大生。狂った歯車は既に摩滅し、軸を外れて坂道を転がり始めていた。
 U-17W杯で準優勝、去年のU-20W杯で三位の立役者が引き締めるまなじりの先には、光輝くW杯。そうやって煽りに煽った挙げ句、来年の本大会でのグループリーグ敗退ですらケチが付く処なのに、アジア予選でまさかの終戦。W杯優勝以降、アジアでは総てのカテゴリーで、無敵の頂に咲き誇っていたなでしこの花が、無惨に散った。泡沫に帰した大人達の皮算用。余計な物をこれでもかと背負い込み、ピッチに平伏ひれふして号泣する麻木。閉店間際に売れ残った刺身のパックを叩き売る勢いで、中継のカメラは容赦なく悲劇のヒロインが頬に刻む涙を追い回した。主要メディアから、飲み終わった後の缶コーヒーの様にポイされた若手有望株を、男女を問わずあらゆる競技と分野で見てきたが、まさか麻木にそのお鉢が廻ってこようとは。負けて帰ってきた後も、移籍二年目の今年、主力で稼働すると期待されていた麻木が、開幕当初からベンチにすら入れなかった状況をいぶかり、
 「アジア予選を控えてる麻木に怪我をされたら困るから、協会がリーグ戦に出すなと言っていたらしい。」
 とサポの口唇こうしん粘膜から内耳へと感染するデマゴギー。ゲスの勘繰りか真実のやじりか。予選敗退とレイズの低迷、監督辞任を肥やしに、醜聞はスタンドの地熱となって燻り続ける。
 
 「奈央子ちゃん、さっきそこに居たわよ。声掛けて上げたら。」
 
 御握りとサンドイッチを両手に持った、ママの優しい言霊ことだまが差し伸べる一筋の光。しかし、声を掛けると言って、一体何を口にすれば良いのか。俺は今の麻木を見て可愛そうだと思わないし、慰める必要もないと思っている。寧ろ、麻木の肥沃ひよくな挫折をねたむ事しか出来ない自分が情けなく、悔しいだけだ。
 初めて眼にした奥秩父から六年。相手選手と交錯しただけで平謝りしていた小娘は、熾烈な国際舞台と実業界の薄汚い荒波に揉まれ、苛酷だが貴重な経験をこの若さで積み重ね、選手として、独りの人間として一回りも二回りも成長し続けている。
 その年頃の自分と来たら、ジャンプの発売日まで後何日とか、ファミスタの発売日まで後何日とか、そんな事しか頭になかった。世間の厳しさを知らず、将来のいしずえを築く時だと担任の先生に何度言われても、教科書を左団扇にヘラヘラしていた。
 元来、容姿のひいでたお嬢様で、黙っていても廻りからチヤホヤされ、ぬるま湯に浸かってもおかしくない境遇にありながら、幼い頃からサッカーに打ち込み、学業もトップクラス。同世代の仲間が遊び呆けている間も、平日は深夜日付が変わるまでサッカーと学業を両立し、週末は試合で大人達の中に混じって遠征に繰り出して、壱分壱秒を惜しみ真っ直ぐに人生を燃焼し続けてきた。アジア予選敗退という最悪で屈辱的な結果も、必ず今後の糧として血となり骨となる筈だ。彼奴あいつなら大丈夫だ。何も心配する事はない。
 二十歳にも満たない麻木がつむぎ出した、華麗で重厚な経歴のペストリーに較べて、自らの手で引き千切ってきた、俺の襤褸雑巾の様な半生と来たら、疥癬かいせんまみれの野良犬と良い勝負だ。
 定職にも就かず、目先の仕事をこなすだけで手一杯の日々。疲れを引き擦って辿る家路の先で待っているのは、安い酒精のお慰み。晩酌で胃壁に血が廻り、軽く瞼を閉じたつもりが寝落ちして、気が付けば日付の変わった一時、二時。これと言った発見も研鑽もなく、この儘では駄目だと判っていても、半身を起こす事すらかなわない。本の酎ハイ一缶でも手を出したらハイそれまで。仕事から解放された後の限り有る、掛け替えのない今この時をフイにすると判っていて、どうする事も出来ない。苦い満足に浸る諦め。だらしない自分を誤魔化す為に酒精で濁した束の間の快楽。途切れた後に待っている永遠の自己嫌悪。灰に帰した焦燥を、自重に屈した瞼が再び覆って、惰眠に惰眠を重ね、昨日と何も変わらない無為な一日にとどめを刺す。
 この六年間で何を成したかと問われて、胸を張れる物は何もない。積み重ねた物と言えば酎ハイの空き缶と、スタンドでの大仰おおぎょう。天をく志も、牙に例える様な野心もなく、そもそも自分が何を目指して生きていたのかすら、今では思い出せない。頓挫とんざする様な目標や計画すら見失っているのだから、世界の舞台で打ち負かされ絶望の奈落に突き落とされるなんて夢の復た夢。這い上がる事も辿り着く事もなければ、酒毒にたらし込まれてその場に立ち尽くしている事すら出来ず、地邊田ぢべたに這いつくばって寝返りを打つしかない。
 選手達が学業や昼の仕事を終えてグラウンドに集合し、トレーニングをしている時間に俺は酔い潰れ、日付が変わって選手が帰宅した頃、微かに目覚めて、復た二度寝する。選手の絶え間ぬ努力に啓示を受ける事もなく、身を持ち崩す更年期のやもめ風情が、ストイックな生活を送り続ける選手達に声を掛け、励ますなんて烏滸おこがましい。
 ピッチ上では今も、有りっ丈の光輝とスタンドの声援に祝福され、90分で魔法の切れるシンデレラ達が、一週間、己に課したトレーニングの集大成を賭して咲き乱れている。選手達は努力する事のなんたるかを知っている。これと言った覚悟もなく、成すべき事を成さず、自分の将来を直視する勇気もなく、怠惰で捨て鉢な生活を送っている自分に、足を止めるな、諦めるなと檄を飛ばして、選手に全力を強いる資格何てあるのか。自分自身の事すら儘ならぬ分際で、人の応援って何だ?俺は人の応援なんてしている場合なのか。選手にはチャレンジしろとか、撃たなきゃゴールは奪えないとか喚いておきながら、自分自身の人生はチャンスに足がすくんで不発弾の墓場だ。結局俺はブリキの太鼓を叩いてガヤを入れるしか能のない、永遠のモラトリアムでしかないのか。
 追いすがる積年の悔悟かいごを必死で払い除けながら、独りコンコースを駆け抜ける。酒精に絡み取られた膝が振り上げる度に鈍く重い。この程度で息が切れるのだから体は正直だ。陽の落ちたスタンドは夜風が素肌をさらってくれるが、選手達の主戦場が高温多湿で囲われた密林の熱帯夜である事に変わりはない。夜行性の発動した牝豹めひょうのストライドで、選手達が切り裂く白熱のピッチ。俺が同じピッチの中にいたら、選手達の棚引く後ろ髪を摑む処か、その影を踏む事すら出来ないだろう。
 俺と擦れ違った麻木の瞳には驚きと畏怖が錯綜さくそうしていた。「裏口から福岡を出て行った。」と、俺がガタガタ言っていたのも耳に入っているのだろうが、こんな心も躰もガタのきたオヤジにひるむなんて麻木もどうかしてる。バックスタンドの長いコンコース。緩衝地帯の端で虎ワイヤをいじりながら、手持ち無沙汰ぶさたに立っている警備スタッフの脇を抜けると、喫煙所へと降りていく階段に、ピッチに背を向け肩を並べて座る人影が眼に入った。岩井さん、河瀬君、イックン以外、喫煙所には誰もいない。
 「意外に早く出てこれたね。どうよ、娑婆の空気は?」
 三人の隣に腰を下ろすと、夜気に引いていた汗が一気に吹き出し、イックンの笑顔が弾けた。
 初めて警備に拉致られ、事務所送りにされたイックンは、未だ興奮が納まらず、運営責任者との遣り取りの詳細を、聞かぬそばから捲し立ててくる。逆にこう言う事に手慣れている河瀬君の言葉数は少なく、軽く相槌を打つ程度で、同じ釜の飯を食い、はくの付いた若手の饒舌じょうぜつを頼もしそうに横目で見ながら、一仕事した後の一服を味わっていた。二人に発破はっぱを掛けた岩井さんは、未だクラブの態度に納得していないらしく、裏で糸を引いたその手を弛めずに、今後の事について舌鋒を揮っている。俺は聞き役に徹して、息が整い汗が引くのを待った。
 「俺はもう一歩も引く気はなかったんで、出禁覚悟で言ってやったんッスよ。日頃からハイハイ返事するだけの、蒟蒻こんにゃくだか寒天だか判らない様な連中に、これ以上舐められてらんないッスからね。」
 勝利の余韻が途切れぬ様に、イックンは切れ長の瞳を見開き、出禁出禁と連呼し続けた。クラブを相手に繰り広げた武勇。脚色も誇張も真実も、若さが激昂するサポ活への純粋な情熱に焼き尽くされて蒸散し、夢の中に頭からダイブすることが、岩漿マグマの飛沫を上げて降り注ぐ。俺の眼を真っ直ぐ見詰めて放さず、動悸と汗の治まらぬオッさんの躰に、イックンは正面から容赦なく突進してくる。
 「告知を改竄した事はホームページで謝罪するって言ってるんで、まあ、そこは最低ラインやってもらわないと話になんないッスよ。こっちはクラブの為に体張ってんのに、上から一寸言われた位でヘコヘコしやがって。こっちは遊びでやってんじゃないんッスよ。俺等の鳴り物取り上げるって言うんなら、前もってこっちに筋通してからでしょ。抑も、得物を取り上げさえすれば、俺等の首に鈴を付けられるとか思ってる時点でむかつくんスよ。」
 イックンの熱い講釈に河瀬君が煙草の火に眼を落としたまま小さく頷いた。ホームページでの謝罪はその場凌ぎに言っただけで、クラブの連中はそんな口約束守る気なんてサラサラ無い筈だ。ボヤ騒ぎをボヤで食い止める為に、嘘を嘘で上書きし煙に巻いただけ。そうと判っていて何も言わないやましさを、背中を伝う幾筋もの汗の雫があぶり立てる。
 「この際だから他にもクラブの文句言ってやったんですよ。やたらホームゲームの地方開催が多い事とか。あんまり遠いと俺、行けないじゃないですか。そしたら、来年からはホームゲームを地方に売らないって約束してくれて。」
 自分の手柄を惜しげもなく披瀝ひれきするイックンの笑顔の向こうに、鷲尾さんの憂鬱が透けて見える。来年からはホームゲームを売らないのではなく、なでしこバブルも一息吐いて女子サッカーの試合を誘致する地方都市がないだけの事。それをていよくイックンに利する様に言って退け機嫌を取るのだから、敵もる者だ。
 信じる道を独走するイックンの恐れを知らぬ危うさが、サポ活に迷いしかない自分には眩しく、今ここに居て三人と肩を並べているのも、惰性に流れた吹き溜まり。事務所での運営との遣り取りから、話はサポ活に関するイックンの持論へと展開し、その熱い理想と決意の数々が、俺の胸に空いた風穴を吹き抜けて、喫煙スペースの闇に吸い込まれていく。背後から他人事の様に聞こえてくる鳴り物なしのチャントと手拍子。視界の端でチラチラとこっちの様子を窺っている警備スタッフ。何もかもが白々しく、俺の存在を迂回していく。
 「内の運営に噛み付いた位で手打ちにしてちゃ駄目だ。俺達はただの賑やかしでやってんじゃないんだよ。一度みんなで協会に押し掛けてガツンと言わねえと。黙ってたら復た同じ事の繰り返しだぜ。結局彼奴ら俺達の事全然判ってねえし、判ろうともしてねえ。こんだけマジでやってんのに、火事場の野次馬みたいに扱いやがって。他のクラブのサポにも集合かけて徹底的にやるしかねえ。」
 夢を語るイックンを制して岩井さんが吼えた。ほとばしる義憤にイックンが連鎖し、河瀬君は吸い差しを足許に叩き付けると、飛び散る火沫を踏み潰してときの声を上げた。
 「オウ、素人が手慰みでマレット握ってんのと一緒にされて堪るかよ。俺達は命懸けでやってんだよ。命懸けで。首に縄を掛けられて連れ回される、実のない生き方なんてまっぴらだ。あんな涼しい所でヘラヘラしてるだけの連中に、舐められて堪っかよ。90分でケリが付く予選リーグ戦とは訳が違うんだよ。勝つまで止めねえからな。負けるってのはとどの詰まり、くたばった時の事だ。」
 炸裂する気勢に、胸が締め付けられる。いさめるべきか、けしかけるべきか、はぐらかすべきか、目移りする打算と、それを定点観測する自分の中の他人。基本、ゴール裏の住人なんて暴力に習熟した人種ではない。ゴール裏で虚勢を張るのは、理想と懸け離れた自己イメージを修復したいからだ。自分が雄々しい存在である事を自他の胸に刻み付けたい。ゴール裏でウルトラスが繰り広げる蛮行は、俺の心の代弁者だ。
 俺は込み上げる溜息をこらえ、闇を見据えた。協会からしたら、傾奇者かぶきものの御乱心なんて諸経費の一つだ。今までにも協会の前に集まって騒ぎを起こした連中はいるが、どれも自己満足のパフォーマンス止まりで、背広組を高みの見物から引き擦り下ろす事すら出来なかった。世間はそんなにやわじゃない。サポーターと言う言葉に収まっている時点で、釈迦の掌の皺をなぞっているに等しい。座学で尾形さんが女学館を守った様に、本当に必要な物は鳴り物でも声量でもない。実業の世界でのし上がり協会と肩を並べれば、連中は黙って耳を貸しこうべを垂れる。金と力で世の中を動かす才覚があればスタンドで騒ぐ必要はないし、そう言うスケールで生きていたら、スタジアムライフよりスリリングで充実した日々を送っている筈で、サポ活なんてしないだろう。俺が本当に成すべき努力は、俺がサポ活に流れ着くまでに挫け、諦め、怠った、学業や実業にこそある。
 闇の向こうに息を殺して何かが潜んでいる。背筋を這う悪寒に汗が引き、鎮まり始めていた動悸が再び息を吹き返す。眼を凝らすと、不敵な気配の奥底から俺の声が反響してきた。
 
 「お前このまま、唯のサポーターで終わって良いのか。」
 
 老想化声と言う奴か。薬で飛んでる訳でもないのに、思念が物質化して聞こえる。
 
 「何時までこんなモラトリアムのヒステリーに付き合ってんだよ。」
 
 黄泉よみの入り口で、しんぞうを正義の秤で値踏みされる死者の様に、俺は最後の審判が下されるまでの永遠をこらえていた。虚栄を放ち、欲目を眩ませる光と違い、闇に偽りはなく、何処までも深い。サポ活を続けたその先に、何か当てがある訳じゃない。商売が軌道に乗っている岩井さんは未だしも、稼ぎ時の土日祝日に試合があり、正社員になるのを蹴って調理師を続けている河瀬君と、同じ様にサポ活を優先して新卒で入社した会社を辞め、バイトに毛が生えた程度の収入で生活はカッツカツのイックンには、俺以上に危うい将来が待ち構えている筈だ。それなのに宵越しの金を持たず、サッカーにうつつを抜かし、ゴール裏の最前線から身を引く気なんて更々ない。地道に働いても、口に糊するだけで手一杯。身を固めて、家族を養い、細くて長い余生を構想するなんて及びも付かない。それならいっそ。
 ゴール裏には俺の様に、負け組のきわまった奴等が、其処彼処そこかしこ蜷局とぐろを巻いてはくだを巻く。この先、実が成らぬのを承知で、一夜限りの花を散らし、砕け散った硝子の、危うき絢爛けんらんを纏って演武する。遠征の連続で来月の家賃にまで手を出す、散財に次ぐ散財。日々閉ざされていく未来に、飲み干した酒杯を叩き付けて嘲笑い、酔歩に蛇行する帰り道。クラブの為、選手の為、日本サッカーの為と念仏の様に唱えては互いに暗示を掛け合い、立ち籠める疑懼ぎくを振り払う。選手と観客という主客を転倒させるスタンドの力学でサポ活を神聖化し、その光背でチンケな日常を、不都合な真実の影を掻き消していく。
 そんな無常に打ちのめされた負の境涯で、砂楼さろうの栄達を棄て切れぬ亡霊に、冷や水を浴びせて魔をはらい、サポ活と言う妄執から叩き起こすなんて、二重遭難するのが落ちだ。独房暮らしのこの俺が、隣の雑居房に忍び込んで何になる。俺がゴール裏に群棲しているのは弱者の生存戦略でしかないのに。
 
 「この儘じゃ、俺もお前も駄目になる。」
 
 その一言を口に出せず、闇に融け出して色も形も失い、ドス黒いタールの様に沈殿した心をゆっくりと掻き混ぜながら、俺は岩井さんに切り出した。
 「協会に行く時は言って下さい。俺も一緒に行くんで。平日とかでも時間作りますから。」
 コアサポの熱狂、その歓喜と涙には、逃避、倒錯、欺瞞の影が付き纏う。今更この程度の方便を放った処で、夕立に打ち水。黙して罪が軽くなるでもなし、ただ流されるまま闇に紛れていく。クラブの口車と同じその場凌ぎの言葉に、イックンが飛び付いた。
 「俺達の力見せてやりましょうよ。二度とすっとぼけた事出来ない様に。エラソーにしてるだけで、彼奴ら俺達が担いで盛り上げてやってる、ただの御輿じゃないですか。テメエ独りじゃ一歩も動けないお飾りの分際で、調子に乗りやがって。」
 打倒、共闘、革命、魂、命懸け、勇ましい言葉が三人の間を飛び交う。俺は嵐が過ぎ去るのを待った。濁流するルサンチマン。虚構に明け暮れる弱者の英雄譚。それは土砂降りだった。
 不意に背後で、スタンドの歓声がリミッターを振り切って爆発し、アウェイゴール裏で燃え盛る翼賛の岩漿マグマが、一瞬にして掻き消された。絶頂と奈落の活断層に、乱高下する西が丘。レイズの沈黙を浮き彫りにする、エレーラのゴールチャント。そう言えば未だ試合中だった。ホームチームの同点弾が巻き起こす、何処か遠い出来事の様な騒ぎを背中で盗み聞きしながら、俺は誰にも訴える事の出来ぬ陰湿な自己弁護を弄り続ける。藤井君のリードが不覚にも一瞬凍結したレイズゴール裏の地殻に灼熱のくさび穿うがち、不撓不屈ふとうふくつのチームコールで、紅蓮の結界が強引に息を吹き返した。不整脈に揺れるスタジアムの躯体。尻の下に敷いた鉄筋コンクリートが混沌に身悶える。
 「誰だ、決めたの誰だ。」
 イックンが跳ね起きてスタンドを振り返り、雄叫びを上げ三段飛ばしで階段を駆け上がっていく。清流の水面みなもを跳ねる銀鱗ぎんりんの精彩。自軍のゴールに乗り遅れ瞬発するハムストリング。垂れ込めていた鬱屈と憤怒を切り裂き、コンコースの光の中へ消え去ったイックンの、炯々けいけいと血走った眼睛がんせいが、俺の網膜に破線を罫書けがき明滅している。恐れを知らぬ若き直情の余韻に痺れながら、その危うさに言葉を添える事すら出来ず、見送るしかない老兵の憔悴しょうそつ。爆竹の様な新陳代謝で今を燃焼し続けるイックンの、蹴汰魂けたたましいみち無きみちの疾走の先に何が待ち受けているのか。蹉跌さてつと皮肉にえた俺の足腰では到底追い付けぬ、青春の奔流。俺にもこんな頃があったのか、今では思い出す事すら出来ない。
 河瀬君と岩井さんは後ろの騒ぎなど意に介さず、なでしこの未来と次の代表戦の段取りについて侃々諤々かんかんがくがくと遣っている。醒めやらぬスタンドの恍惚を透かして、試合再開のホイッスルが聞こえた。決勝ゴールを巡り転調する真夏の夜の夢。星降るスタジアムの奏でる珠玉の最終楽章。観客の胸で高鳴る奇蹟のフィナーレ。その光の攻防もこうして舞台の裏側に潜り込んでいると、総ては張りぼての中の出来事だ。喫煙所の茫漠は取り残された塹壕ざんごうの様に口を空け、闇が鉛の様に無慈悲な横顔で硬直している。後ろから誰かに襟を摑まれて引き擦り出される様に、俺はズルズルと腰を上げた。膠着した大腿筋が軋み、ほったらかしのポテトチップスの様に膝の皿が湿気った悲鳴をペリペリと上げる。
 ゴール裏を主戦場にする以前、誰とも交わらずにスタンドを彷徨さまよっていた時は、独りで腐ってはいても、野良犬の死骸の様に、有りの儘に屍液しえきを垂らし、はらわたうじに暴かれる、野晒のざらしの解放感があった。餓えてはいたが、貪婪どんらんではなく、その屈折には外連味けれんみがあった。それが今では、同じ腐るにしても、賞味期限の切れた塩辛の様に、棚の奥の奥に自らを密封し、損壊して滅する処か、えた臭いを放つ事すら敵わず、虚栄にくるまり、私欲に凝り固まっている。群れる事を拒絶し、世界を逆恨みして、呪詛じゅそを並べ立てていた頃の方が、自分に正直だった気がする。檻の外を逃げ惑う狂乱。その過緊張に稲光いなびかる爽快と忘我の瞬間が、懐かしくさえある。光に浴する柄でもなければ、闇に安らぐ事も出来ない根っからの不調法ぶちょうほうが、サポーターとか言う良い子ちゃんの真似なんて、土台無理な話だ。今夜のレイズの先制点の様に、道端で拾ったダイヤの輝きはそう長くは続かない。
 フラフラと階段を上りコンコースに出ると、両ゴール裏が高らかにクラブの尊厳を唱い合っていた。張り出された横断幕の其処彼処そこかしこに踊るPRIDEのつづり。乱造されたゴール裏の常套句が頭骨で宙を舞う。何の心得も心構えもない矜持。日々の暮らしの中でないがしろにされた劣等感の裏返し。例えそれが満たされたとしても、誇りはおごりへの迷い道でしかない。
 この世に定型化したラブソングが溢れるのは、愛なんてないからだ。絆をスローガンに掲げるのも絆がないからだ。始めから其処そこに在るのなら誰もそんな物、声高に謳わない。無責任なポジティヴソングが信じれば夢はかなうと連呼するのは、信念や努力には限界があるからで、夢と言う建前で意地汚い煩悩を美化する為だ。ガキが親や学校や社会に自由を訴えるのは、自分達が虚無という無制限な自由の真っ直中に幽閉されている事を、自由とは不条理の影絵でしかない事を、自覚していないからだ。自分探しに明け暮れるのは、自分の実体を、本性を直視するのが恐いからだ。君は独りじゃないと叫ぶのは、孤独とは社会の異名であり、孤独こそが人類の真実だからだ。言葉は虚しい。視覚と聴覚で折り重なる誇りとPRIDEが、J-POPのPVの様に感性を素通りしていく。俺に誇りなんて無い。初めから無いのだから、失ってすらいない。
 残り時間に反比例して過熱する、万雷の手拍子と絶唱。激甚する団塊の誇慟こどうが天を衝き、ゴール裏のリングで激突する、巨人と虚人のインファイト。コンクリートの雛壇で相克そうこくするミラーゲームは、俺の中で睨み合う俺と俺との代理戦争だ。夜空に焼き印された電光掲示のタイスコア。永遠に決しない輪廻のシンメトリーが突き付ける、空疎な既視感に俺は背を向け、緩衝地帯の虎ワイヤを潜ってコンコースを歩き始めた。
 
 
 
 メインスタンドに戻ると、麻木が日野さんの席に出向いて挨拶をしている処だった。湶さんとサッコちゃんもその華やかな輪の中にいて、試合の最中であるにも拘わらず周囲の視線を独占していた。更年期の無粋なオヤジには近寄り難い、綺麗所が咲き揃う秘密の花園。テレビのインタビューやスポーツ誌の巻頭写真で眼にする麻木の姿が其処にあった。迫り来るカメラのアップ、突き付けられるマイクにも臆せず、たおやかに包み込む笑顔を、メインスタンドの枡席ますで何のてらいもなく振り撒いている。兎に角、溢れ出る煌めきの輝度が、その辺のコンビニでブラブラしている牝とは違う。湶さんとサッコちゃんだから話の輪が成立してるが、並の小童こわっぱなら鉄板焼きのバターの様に物の二秒で蒸発している。ピッチでプレーしている選手達よりも直ぐ眼の前にいる筈なのに、まるで、何万光年も離れた別の銀河のお姫様だ。あまねく星屑を意のままに纏う、日本代表という肩書きが霞む程の才艶。峠を越えたなでしこバブルの切り札として騒がれるのも無理はない。
 日野さんに挨拶を終え、麻木は放送ブース隣の関係者席に向かった。貴賓席には代表監督が鎮座している。A代表招集も時間の問題の麻木だ。そっちにも挨拶に行くのだろうかと思い見ていると、コンコースで待ち構えていたサイン厨に、瞬く間に取り囲まれてしまう。当該チームのレプリカすら着ていない、選手と見たら手当たり次第に突撃し拿捕だほする連中だ。試合観戦なんて二の次三の次。毎週、毎試合、同じ選手に何度でも、あらゆる隙を狙って紙とペンを突き付けてくる。日野さんとの会話中とは明らかに違う、硬質な笑顔で対応する麻木。そこへ更に、ズームレンズを単焦点レンズに取り替えながら、10Lクラスの機材バッグを肩から提げたカメラ小僧が現れた。高剛性マグネシウムボディの黒い奴を握り締め、サイン帳に俯いて嵐が去るのをジッと堪える麻木の顔を、サイン厨の肩越しに至近距離から無言で撮り続ける。捕獲した縞馬の内蔵に肩で仲間を押し退けながら喰らい付き、尾を振るハイエナの性根。無機質なシャッターオンが規則正しく等間隔に、麻木の強張った顔面神経に鋭角に降り注ぐ。そんなサインや写真を掻き集めて、何を埋め合わせたいのか、俺には想像も付かない世界だ。選手を追い回せば追い回す程、選手との心の距離は離れていく。そんな自明のことわりを一顧だにしない視野狭窄しやきょうさく。その業の深さには寧ろ感服してしまう。
 俺は一瞬迷った。この乱れ飛ぶ小蠅の群れを追い払うべきかどうか。さっきコンコースで擦れ違った時の、麻木の怯んだ眼差しがフラッシュバックする。顔の売れたアイドル選手にとって、こんな物はゴミを分別するのと同じ、日常の本の一部。塵芥ちりあくたの類も含めてらゆる物を惹き付ける今の麻木には、ミイラもミイラ獲りも、蚤か虱かの違いでしかない。態々わざわざ首を突っ込んで、下心丸出しの馬鹿面を曝す事もない。そんな卑屈な邪念をまさぐっている内に、女性スタッフが割って入り、麻木は放送ブース脇の関係者席に促された。あれは確かレイズのマネージャーだ。上段の席に納まっても、カメラ小僧はコンコースから麻木を撮り続け、最終的に警備スタッフに連行されていった。その一悶着の間、他の選手と肩を並べて控えの座に甘んじる麻木の視軸は、ブレる事無くピッチの戦況に延びていた。カメラバックを提げて退場する卑小な背中なぞ眼中に無いその横顔は、既に確固たる意志によって武装されていた。
 俺が福岡の試合で応援していたのは、本当にこのお姫様だったんだろうか。声が小さくて何を話しているのかも、起きてるのか寝てるのかも判らないヒヨッ子だったのに。今、コンコースから見上げる麻木の引き締まった面差しは、余りに気高く、内に秘めた雪辱の狼煙で黙黙と骨身を焦がしている。もう只のお姫様じゃない。
 以前、ユースの日本代表監督が、CSのサッカー番組で語っていた。代表監督として初めて臨むアジア予選の直前、何の前触れもなく、突然全身に発疹が出来たと言う。現役時代は立ち上がったばかりのプロリーグで活躍し、A代表にも名を連ね、その明るい人柄と熱意から高校年代の指導に定評がある、ユースの第一人者を襲った体の異変。四十年に渡るサッカー人生の中でも初めての経験で、陽に灼けた肌を表裏の区別無く這い回る、血斑を鏤めた蚯蚓腫みみずばれに、
 「何これ、マジでヤバイ。」
 とすくみ上がる以外、手の施しようが無かったという。アジア予選のプレッシャーが引き千切った、図太かった筈の自律神経。砕け散るまで思いっ切りやれば良いと言う、予選突破のご褒美の様な本大会と違い、負ければ総てを失う世界の切符を賭けた闘いに、エリート街道とは無縁の、草魂を地で行く、叩き上げた鋼の心と躰が初めて悲鳴を上げた瞬間だった。
 予選で敗退したら、その時点でチームは解散。アジアというカオスを潜り抜ける事によって摑み取る自信と、本大会で世界を肌で体感する機会を失うばかりか、予選後に組んでいる、本大会に向けた半年を優に越えるチームの長期強化プランまでもが、フイになってしまう。準備期間中の合宿や海外遠征を通して選手達が手にする智見は、サッカーの枠を越えて、必ず人生の糧になり、負ければ選手達の未来と可能性を奪う事になる。己の指導者としてのキャリア以上に、教え子達の人生を背負う重責。其の心労など想像だに出来ない。学生時代から、地区予選、全国大会、決勝戦と大一番を勝ち抜け、プロ初先発、開幕戦、チャンピオンシップ、国際Aマッチと様々なプレッシャーの掛かる舞台を踏んできても、飼い慣らす事の出来ない魔物。時には精神と肉体が拒絶し崩壊する程の鬼胎きたい。学校や会社に行くのが厭で腹が痛くなるのとは訳が違う。
 麻木にも試合前、そんな異変は起こるのだろうか。日の丸を背負い世界の舞台に立つ緊張とは如何いかなる物なのか。決戦のピッチに向かう時、人の心と躰はどう惑い、変容するのか。麻木も眠れぬ夜を数え、ロッカールームで震えているのだろうか。勝利への期待渦巻くスタンドが取り囲み、黒光りするカメラのレンズが居並ぶ、逃げ場もなければ身を隠す場所もない、衆人環視のピッチ。そこから俺達の居るスタンドは、どう見えるのだろう。周到な準備も尋常じゃない努力と節制も、たった一つのミスで水泡に帰す、運命の一戦。麻木はそんな死線を、若い身空で幾度も潜り抜けてきた。スタンドで独り声を張り上げるだけでビビっていた俺には、耐えられぬ未知なる極限。そこで人はどう深化し、精錬され、覚醒していくのか。そして何より、あらゆる苦難を乗り越え、勝利した瞬間の歓喜とはどれ程の絶頂に達するのか。
 スタンドの物見遊山ものみゆさんとは隔絶した世界を見詰める、麻木の引き締まった頬。端正な面差しはどれ程の修羅場と対峙してきたのか。透徹した眼差しは、生き恥を曝す様なアジア予選の敗退も、追い立てるマスコミも、節操のないサイン厨も貫通して、克服すべき課題の先にある、進むべき道を一心に見据えている。プロ契約でもないのに、膝の関節が変形し、歩行障害の後遺症を抱えるまで闘い続ける選手を、何人も見てきた。代表に昇り詰める鉄の女ともなれば、その決意や信念の強度はタンガロイをも打ち砕く。些細な言葉や擦れ違い一つで心が折れ、仕事も人間関係も長続きせず、果たすべき重責から逃れ、手当たり次第に夢と希望と可能性を放り出し、オサラバだけの人生を繰り返してきた俺なぞ、及びも付かない。
 同じスタジアムの中にいても、常緑の戦火と対峙して一歩も引かぬ選手と、他人の成功を見上げているだけの俺。ピッチを囲む鉄筋コンクリートの集積も、スパイクを履いたアテナには、守護女神として君臨する城塞で、俺には屋根のない監獄だ。見えている景色が、所属する階層がまるで違う。奥多摩のグラウンドで初めて見た時には、ランドセルを忘れたガキだったのに。それがこの六年で、女子サッカーの未来を照らす紅き明星だ。同じ歳月を過ごした筈なのに、俺は何一つ積み重ねる事なく、スタンドに囚われの身の儘、今も惰性で時を濁している。
 
 「こんな筈じゃなかった。」
 
 そんな言葉を口にする権利すらないのに、
 
 「あの小娘に出来て、何故俺に出来ないのか。」
 
 といきり立つ愚劣。麻木の華麗なる成長を黙って見守れば良い物を、病的な妄執に呪われたこの性分。試合後、応援を感謝される事で、選手と繋がっている気になっていた。ややもすれば、選手と対等な気にすらなっていた。その烏滸おこがましさに、我ながら呆れ果てる。
 スタンドで声を荒げている間は殿様気取りで居られても、気取っただけで本物の殿様になれる訳じゃない。上積みも無く、年々目減りするだけの給与明細。間借りしている散らかっているだけの寝座ねぐら、見下すかへつらうかの、浅薄で潤いのない人付き合い。疲れるばかりで達成感のない仕事。右肩上がりなのは酒の量だけで、後の総ては何から何まで尻窄しりすぼみ。そんなガッサガサに角質化した、露命を継ぐだけの日常以外、この流刑地に出口はない。一等星を目指して地力で輝き続ける新しい天体と、鬼界島の真砂まさごに没する落人おちゅうど。格差を超えた隔絶。今更何の接点があると言うのか。試合の遠征で全国を駆けずり回り、声を限りにその存在を叫んでも、お客さんはお客さん。選手が降り立つ煌びやかなステージの末席にすら辿り着けない。例え麻木の浴びるスポットライトの線量が、スポーツや芸能の世界に蔓延はびこる虚飾と欲動の産物だとしても、人をでる事をないがしろにして、クラブ愛、郷土愛、スポーツ愛の片棒を担ぐ自己欺瞞と較べたら、同じ嘘でも羽振りが良くて御機嫌だ。日の丸を背負って国際舞台で活躍し、引退後は指導者から、クラブの運営、協会の役員、タレント業まで、麻木の視界良好な未来と、残照のつかでしかない俺の余生。その無惨に乱反射するコントラストが、いびつに角張ったプリズムとなって、照明塔と宵闇の狭間はざまを転がり落ちていく。
 
 
 「オッ、五月蠅うるさいいのが帰ってきたな。」
 席に戻り腰を下ろそうとする俺の尻を叩いて、塩爺が吼える。
 「人を季節外れの不如帰ほととぎすみたいに言うんじゃねえよ。」
 「何処で油売ってたんだ。どうせ、鳩に混じってパン屑でも突いてたんだろ?」
 「寝惚けてんのかジジイ、未だ宵の口じゃねえかよ、ふくろうが啼くには早過ぎるぜ。」
 こんな流刑地だからこそ、湧き水を名酒に見立て、酌み交わす洒脱しゃだつが身に滲みる。塩爺は俺の首に手を掛けて絞める真似をし、ママは静かにポットから麦茶を注いで渡してくれる。血を分けた父親とは、心療所に通っていた頃に一度、春吉橋の袂に呼び出し、十分程言葉を交わしただけ。俺が母親の胎の中に居る時には既に、余所の女の処に転がり込んでいた、と言うのは本当か問い質したら、有耶無耶うやむやはぐらかし、
 「アラスカで死にたい。」
 とか火裂ほざいてた事以外、後はどんな顔だったかも思い出せない。本当の父親に会えば、何か出生の秘密でも明かされるのかと思ったが、何もなかった。結局、実の父親と言うのも、誰かの肩書きでしかなかった。
 俺にとって塩爺とママとの邂逅かいこうは一夜限定の疑似家族。帰る所がある様な錯覚。かなわなかった人生の損失補填でしかないスタジアムライフ。しかし、この癖になる居心地すら、そう長くは続かない。昇格以前に終末医療の段階にある女学館が、それを許さない。
 女学館が全国リーグから降格したら、全国どころか九州リーグからも落ち零れ、リーグ戦での活動その物から撤退してしまったら。俺は何をどうしたら良いのだろう。フロントがギブアップして、ハイそれまで。新聞の片隅にも載らずクラブが解体する事なんて、女子サッカーの世界では在り来たりな結末の一つでしかない。
 そうしたら復た、余所に鞍替えするのか。例え草サッカーチームにまで堕しても、カンクローと心中してみさおを立てるのか。スタジアムライフから足を洗う丁度良い区切りなのか。移籍するとしたら、塩爺とママに何と言って説明したら良いのか。女学館の余命を宣告する勇気すらない俺に、女学館を棄てて、もっと羽振りの良いクラブでヨロシクやる何て、言える訳がない。
 「何ボケっとしてるんだ。ふくろうをつくねにするレシピでも考えてんのか。」
 紙コップの麦茶を見詰めて、琥珀こはく水底みなそこに心を沈めている俺を、塩爺が覗き込む。俺は気付けに麦茶をあおり、口の減らないフリをした。
 「鼠の尻尾つついて喜んでんのとは訳が違うんだよ。宇和島の遠征の事で頭が一杯なのに、こんな付き合いで観に来てる余所の試合で、羊の勘定なんかしてられっかよ。来週、愛媛を絞って土産のジュースにしてやっから、楽しみに待ってろ。」
 「逆に絞られて、豚骨の出汁だしにされちまうんじゃないのか。」
 「そん時は、紅生姜の代わりに俺の腹を捌いて、いつでにオヤジも叉焼チャーシューにして載っけてやるよ。」
 「オイオイ、腹を捌くとは随分と物騒だなあ。残り試合どれも大切なのは確かだけどな。一つ負けた位でこの世が終わる訳じゃないだろう。」
 「二部のドサ廻りがこの世の終わりじゃなかったら、何が始まりで何が終わりなんだよ。一部の下で一生臭い飯喰ってる位なら、ケツの穴にロケット突っ込んで、銀河系からオサラバした方が増しだぜ。俺はなあ、流れ星なんだよ。まばたきなんかしてんじゃねえぞ。」
 ゴール裏の朱に交わって染み付いた張りぼての無頼。昇天する劣情と反転する躁鬱。自分で口にしておいて、その後味の悪さに舌が痺れる。本当の家族だったら、こんな時弱音を吐いたりする物なのだろうか。スクラップ同然の真実を打ち明けて、分かち合うのだろうか。塩澤夫妻は選手もクラブもサポーターも決して悪く言う事がない。女子サッカーに携わる総てを讃え、ねぎらい、いつくしみ、何よりこの世界を無条件に愛している。二人が其処にいるだけで、選手とサポが自然と集まってくる。俺もその穏やかな引力に摑まり、甘えている一人だ。どうすれば、そんな美徳が身に付くのか。こんな糞みてえな世界を許せるのか。
 塩爺の老成した象の様な眼差しに、心を見透かされるのが恐くて、俺は決勝点を巡るピッチの攻防へと顔を背けた。脚と気持ちの止まった方が遣られる、本来チンチンに熱い時間帯。それなのに、ボールの行方を漫然と眼で追っているだけで、心の照準は完全にブレていた。同点ゴールの熱狂は既に醒め、湶さんの視線で焼き尽くされた不発の背番号10は、既にベンチでペットボトルの水を只管ひたすら呑んでいる。ピッチサイドのカメラマンの肩口からは懈怠けたいが滲み始め、鳴り物なしの両ゴール裏は、消化不良な消化試合と言うエクスキューズを、声と手拍子で必死に振り払い、貴賓席の代表監督は眉間の皺を解く事もなく、収穫はゼロ。これが録画した試合なら早送り出来るのに、現場って不便だ。フットボールの神様は頬杖を付いてスマホでも弄ってるのだろう。秘蹟の欠片をほのめかす事もなく揮発するピッチの白熱。未だ主審が腕時計に眼を落とす時間じゃないが、俺の頭の中はとっくの昔にタイムアップしていた。無風だった。降りた幕の向こうに気配と呼べる物すらない。そこへ不意に、胸が騒いだ。着信だった。
 女学館の応援を通じて、懇意にしている佐賀のサポからだ。何時も福岡の現場の様子を律儀に報告してくれるのだが、ここ最近はほとんど良い話を聞かない。今週末、女学館の試合は組まれてないのに、態々わざわざメールをしてくる位だから、それこそ推して知るべしだ。
 
 
 「ビッグマックのやつ、今日もいつもの格好でユースの試合に来て、メチャクチャな歌を歌って、それで興奮してピッチの中に入ろうとするわで、もう大変でしたよ。入団希望者の父兄とかも試合を見学に来てたんですけど、あれじゃあ、自分の娘を女学館のユースに入れようとか思いませんよ。」
 
 
 文字に起こすと呆気ない。何時もの格好、メチャクチャな歌スマホの液晶画面に整列する小さなフォントは、厄介な現実を寧ろ優しく包み込んでいる。何せ実物の破壊力に言葉が追い付かない。不摂生を究める体重100kg超、肥満度57%の重力に打ち負かされた肉塊で現場を匍匐ほふくする異形の重戦車。それが女学館のホームゲームの応援を仕切る、自称リーダー、ビッグマックだ。
 ピントのボケたカピバラの様な容貌が醸し出す、散漫な知性と未成熟な自我。そして何より、脳天に頂く、条理を逸したモーゼの海割りの如き逆モヒカン。額のド真ん中からバリカンで一直線に刈り込んだ、叛逆はんぎゃくの活断層は「仕事先では絶対にヘルメットを脱ぐな。」と警備会社の職長を激昂させ、初対面の相手を壊滅的なビジュアルショックで、絶句の静寂に葬り去る。
 これだけでも既にチョッとした事件なのに、ミシンの畳み掛けで補修しまくった、ぎだらけで襤褸雑巾にしか見えないウッドカモの軍パンに、御贔屓ごひいきの選手の名前をデカデカとプリントした、ショッキングオレンジのTシャツをピッチピチに着倒し、真冬でも素足にサンダルが唯一の正装。それで試合当日のスタジアムだけでなく、平日も博多の繁華街を練り歩くのだから、毎日が自爆テロだ。Jから地域リーグに至るまで、全国津々浦々にクオリティの低いコスプレやら何やらで、現場の賑やかしに興じる巫山戯ふざけたサポが存在するが、ビッグマックはその最底ランクで、本人は面白いつもりでやっているのだが、世間にとっては女子サッカーを付け回す、人類の失敗作だ。
 しかもこの視覚の暴力が途轍もない音痴なのだから、神の気紛れって奴は手が込んでいる。その破滅的音感は醜貌しゅうぼうに劣らぬ凄まじさで、ビッグマックがコールリードを取ると、どんなに頭では判っていても桁外れにズレているピッチに引き擦られ、まともにチャントを歌う事が出来ない。暴風雨に舞う木の葉の様に、すべがない。一応本人には稲妻の様な音痴である事を警告してはいるのだが、亀虫に体臭を指摘した処で、ペパーミントに生まれ変われる訳じゃない。天は何故ビッグマックに負の二物を与えてしまったのか。宇宙とは不思議の宝島だ。
 女学館のホームゲームとユースの試合に残飯の様な姿で現れ、左手に提げたスネアドラムを、右手に持ったスティック一本で力無くペシペシ叩きながら絶叫する様は、未開の熱帯雨林を邪術でつんざく祈祷師にしか見えない。こんな状況が放置されているのは、単純になり手がいないからだ。福岡の現地に女子の試合を応援しよう、それも腰の据わった応援をしようと言う奴が居ないからだ。Jの試合には大挙して繰り出し躰を張っても、女子の試合に流れてくる事はない。ビッグマックは女学館と言う見捨てられた解放区、その皹割ひびわれた荒野の裂け目に挟まっているだけの、応援に関する何の資質も権限もない、トランス脂肪酸の沈殿物だ。
 それでも以前は未だ増しだった。初めて皇后杯の緒戦で顔を合わせた時は、逆モヒカンでもなかったし、変なTシャツも着てなかった。栄養過多なホームレスと言うパラドキシカルなブー太郎で、悪夢の様に音痴ではあったが、年に数試合ブッキングするだけだし、まッ、良ッか、位に考え、その奇態を写真に撮り、ブログにアップし、その高カロリーなバディをビッグマックと名付け、茶化し、拡散していた。会場で出会でくわす度に、ああでもない、こうでもないとポーズを取らせて、写メのシャッターを連射し、ビッグマックもビッグマックで、そのリクエストにハイテンションで応えていく。すると、何を勘違いしたか、回を重ねる毎にビッグマックの様子が可笑おかしくなっていった。ブログで我らがリーダーと囃し立て、ビッグマックの名が浸透するに従って、波に打ち上げられた海馬とどの様なビジュアルに、意味不明なオプションが付き始めた。髪の毛をアンシンメトリーに刈り上げ、片方の眉毛を剃り落とし、シャツの文字がデカくなり、言動も芝居がかって、スタンドでの態度も高慢になり、奇行が目立つ様になってきた。
 日給六千円。福岡の最低賃金で口に糊する日雇いのガードマンだ。チンチンにヘルメット焼けした赤褐色の鼻面と猪首いくび。薄弱を絵に描いたなまくらな眼差し。努力とは無縁の生き様を露呈した風采は、見てる此方まで気怠けだるくなる。卯建うだつの上がらぬ半生を過ごし、人の注目を集める経験等なかったのだろう。リーダーに担ぎ上げられ、チョットした人気者気取りで、馬鹿にされている事すら理解出来ずに増長し、変質の一途を辿っていった。
 
 「今日は応援に来てくれて本当に有り難う御座いました。一度お会いしたかったんですよ。ブログ読んでます。本当に会えて嬉しいです。福岡ではユースの試合とかだと、誰も応援に来てくれないんですよ。矢っ張り、ドラムがあるだけで全然違いますもん。横断幕も凄いですねえ。全部独りで描いたんですか?何mあるんですかコレ。」
 
 先月の末、大阪の堺で開催された全日本女子ユース選手権に、女学館のユースを応援しに行った時の、選手の父兄の言葉だ。福岡では誰も応援に来てくれない。サラリと口にした一小節が、父兄の眼中にビッグマックが存在していない事を、話題にする事すらはばる事を裏付けていた。トップの試合でも、可燃ゴミで擬態した河馬かばの前を素通りして、選手は俺に挨拶に来る。ビッグマックが張り切れば張り切る程、それは間違った努力となって跳ね返っていく。
 
 「ユースの子達が気持ち悪がってる、と言うか、もう完全に怖がってるんですよね。去年引退して今年からユースのコーチをやっている本山の事が好きだから、ビッグマックはユースの試合に通ってるんだけど、やっぱりあの格好が格好だけに、思春期の子達には特にキツいですよね。本山は応援してくれてるんだから、ちゃんと挨拶しなさいとか言ってるみたいなんだけど。本当はコーチが選手を守らなきゃいけないのに。何だかおかしな事になってるんですよね。こっちの方は。」
 
 佐賀サポのたまりかねた愚痴を耳にする迄、俺はビッグマックを歩くゴミ屋敷くらいにしか見ていなかった。現場で見付けたら指を差して笑っていれば良い。そう考えていた。しかし、河馬かば海馬トドを掛け合わせた逆モヒカンが、女子中高生の練習試合に付き纏っているだけでもまわしいのに、チューニングされてないスチューデントモデルのギターを、アンプ直刺しのフルゲインで掻き鳴らす様に、試合中、独り喚いているのだ。普通なら通報されている。観覧席とピッチを限る物のない、ユースの試合だ。本人は単独応援で武勇を奮っているつもりなのだろうが、結婚式の披露宴や告別式に街宣車がノンブレーキで突っ込んでくる様な物で、選手やその父兄からしたら、完全に危険水位を超えている。
 以前、千葉の試合を観に言った時、徒党を組んだ落人おちゅうど風情が、ユースの選手にサインを貰いネチネチと握手しているのを、その選手の父親が遠巻きに眺めていた。千葉サポの重鎮八千代さんが偏光レンズのグラサンを直しながら、
 「ああ言うのってどうなの。」
 と尋ねると、
 「俺が毛沢東か金日成なら全員死刑。」
 と瞬殺で吐き捨た。心理も生理も受け付けぬ、ひそめた眉根に刻まれた憎悪の深甚しんじん。サポーターと称して愛娘まなむすめに粘着する汚物の葬列。痛切な男親の横顔が西日を浴びて燃え盛っていた。
 「選手も選手の親も俺等みたいなビシッと筋の通ってる連中に応援してもらいてえし、現場で眼を光らしてて欲しいのよ。レプリカ着て応援してるって言われたら、邪険に出来ねえのに付け込んで、選手に纏わり付いてくる馬鹿がウヨウヨしてっからよお。選手の事をタダで相手してくれるホステスか何かと勘違いしやがって。それも相手は中学生とか高校生だぜ。そう言うおかしな奴等に睨みを利かせるのも、俺等の仕事の一つ。選手の親に俺等に何か出来る事ある?何かして欲しい事とかある?とか聞いても、今のままで良い。十分良くやってくれてるから、これからもこの儘、選手を見守ってて欲しいって言われるしな。こっちとら、危ねえ奴等から選手守る為なら、何時でも豚箱に戻る覚悟は出来てっからよ。」
 プレミアムモルツのロング缶をチビりながら、八千代さんが転がす巻き舌を、その時は漠然と聞いていた。
 
 
 先月の福岡遠征。女学館のホームゲームで俺を待っていたのは、無様な惨敗と凋落したクラブ運営だけではなかった。初夏の陽射しを浴びた雨上がりのレベルファイブスタジアム。サッカースクールの女生徒達が座席の間を駆け回って歓声を上げ、父兄が膝を並べて手弁当を広げ、スタンドから選手に声を掛ける親類や元チームメイト。空席ばかりなのが寧ろ開放的で、すこやかな時を育む休日の午後。そんな平穏な倖せに対する皮肉の様に、奴とその仲間達はいた。
 ホーム側メインスタンドの端の端、石灰化した富士壺の様にこびり付く、五、六人の寄り合い所帯。女子の試合には付き物の見窄みすぼらしいすすけたオッさん達の掃き溜め。そんなサポ活とは名ばかりのつつましい落ち武者部落を、自称リーダーの放つ熱量がデッドゾーンに叩き落としていた。しばらく会わぬ内に一段と凄味を増した、トランス脂肪酸の団塊。どぎつい鉛丹色を巻き付けたゲル状の堆積物は、チームカラーのTシャツを着て座っているだけなのに、遠目からでも其処だけがトリックアートの様に歪んで見える。今日も張り切って逆モヒカンに刈り上げてきた筈だ。眉毛もゴッソリと剃り落としているのだろうか。近付いて確認したくもない。諧謔かいぎゃくと自虐を履き違えたランドマークが超然とそびえる、一般客と縁の切れた結界。それが女学館のウルトラスの実体だった。
 昇格を果たした四年前以来のホームゲーム。あの時は入れ替え戦があざなう天と地の乱気流に翻弄され、スタンドの相関図なぞ眼中に無かった。ビッグマックの身形みなりもだらしないデブと言うだけで、未だこんなに酷くはなかったし、規格外の音痴に手を焼きはしたが、それもピッチ練習の間だけ。試合が始まればコールリードなぞ無視して喚き散らし、勝ち負けの結果以外何も頭に無かった。それが今、クラブに対する気持が醒めた分、総てが有りのまま以下に見えてしまう。
 闇の動物園にブラックアウトした一角。一旦、そう刷り込まれたら、最早それ以外に見えない。これはもうサッカーとは違う、何か別のウルトラスだ。荷物を引き擦ってスタンドに降り立った俺の眼を釘付けに、足をコンコースに釘付けにする魂の貧民窟。子供達の笑い声を断絶する魔の聖域。無尽蔵に卑語が世界を覆い尽す。俺の歪な心がビッグマックの醜態と同化して、己の影と独り相撲を取り続ける。枯れ枝の様な自我を守り抜く為、人を意地汚く罵る事しか出来ない、己の卑しさに負けた母親の血が騒ぐ。
 応援以前の問題だ。これが俺の仲間?真逆まさか。女子の応援にクラブ愛に燃える猛者共の連帯なんて初めから期待してはいない。Jのゴール裏の劣化コピーで当たり前。駄目オヤジのウルトラスごっこで構わない。死に馬にG1を制覇しろ何て誰も言いやしない。唯、クラブをサポートしているとか言うアリバイだけコソコソ作っていれば良いのに、りにって、あんなコレステロールと無恥を過積載した、異教徒の御神体をたてまつるなんてどうかしてる。零落の一途を辿るクラブの道連れにしたって、趣味が悪過ぎる。
 胸元でピッチピチに引き裂かれた推しメンのプリントが動き始めた。ビッグマックがレベスタのエントランスホールを、コンコースを練り歩く。歓談に興じる家族連れの幸福な日常を切り裂き凌辱する、何かの着ぐるみかと見紛う重度の肥満体。スタンドを駆け巡っていた子供達は凍結し、運営の手伝いをしているユースの選手は見て見ぬ振りを決め込んで、父兄の眉間に稲妻が走る。トレードマークの逆モヒカンを地で行くモーゼの海割りで、ビッグマックの進行方向を避ける人々。「一応、クラブを一生懸命応援している人だから。」と言う免罪符の威光で、クラブの運営も、選手も、誰も何も言わない。何も言えない。サポーターと言う以前のあらゆる属性と本質の崩壊した、何物なのか分別不能な、明らかに場違いな、集客の足を引っ張る、駆除すべき害獣。存在その物がモザイクの限界に挑戦しているスタンドの異物。良く本物と下手物げてものは紙一重と言うが、此奴は本物の下手物だ。奇異の眼を羨望の眼差しと勘違いして勝ち誇る、こんなパンツの穴の様な奴が居たんでは類が友を呼ぶばかりで、まともな客は一緒に声を出して応援したい何て思う訳がない。これではJのゴール裏を縛り上げる殺伐とした空気の方が、未だサッカーに対して真摯な態度に思えてくる。これは何かの間違いだ。こんなのと一緒に俺は今から応援するのか?有り得ない。黙認したらその時点で共犯者だ。本当の豚箱に叩き落とされる。
 息を継ぐ事すら叶わぬ悪罵の濁流。取り憑かれた譫妄せんもうに向かって毒吐どくづく自分を、何処か遠くから眺めている。腐っている物を総て吐き出しても、未だ底を見せぬ苛立ちの源泉。奴の姿形も俺の言霊ことだまも際限なく下劣で、最早見分けが付かない。奴のパンツの穴から舌を出して笑う俺の本性。この儘だと先に破滅するのは俺の方だ。奴のパンツを頭から被って突き破り、小麦の種の様に眠っている己の良心を踏みにじって騒いでいるのだから、どう考えたって、まともじゃない。延命治療に明け暮れるクラブと、蘇生手術の必要な俺。ホームゲームのられも無い真実は俺を映す鏡だ。そう思い知らされた瞬間に粟立あわだつ陰性の磁力。俺は鏡の底を覗き込む為、黄泉よみの入り口と知りながら、ウルトラスゾーンに向かって歩を踏み出した。
 眉毛こそ剃っていなかったが、それでも間近で観る実物は流石に凄い。記憶の中で風化していたデブとは物が違う。百八の煩悩が一斉に水疱瘡みずぼうそうを引き起こした様な脂身の氾濫は、肥満と言うレッテルや俺の蔑視線すらむさぼり、尊大なる粗相そそうはべらせている。しかも、その自然の摂理を棚上げにして増殖する中性脂肪の頂に、例の逆モヒカンが突き刺さっているのだ。晩年のピカソですら此処まで制約と理解を拒む物は描けないだろう。俺は荷物を降ろすと、最初に軽く挨拶しただけで、後はもうビッグマックと口を聞く処か、視野に入れる事すら許せなくなっていた。この贅肉の暴君を担ぎ上げ、下品な勘違いに拍車を掛けたのは俺だ。浅はかな己の見識に心底腹が立ち、ガン無視する以外、気持ちを鎮め、その場を穏便に納める事が出来ない。ビッグマックを取り巻く他の面子にしても、見れば見る程、接すれば接する程、反吐へどが込み上げてきた。村里の退団について一体何が起こったのか、村里の勤め先だった胸スポのマルショーは何と言ってきているのか、自分達はどう考えているのか尋ねても、煮え切らない笑顔を返すばかり。それは俺が知らない真実を隠し持っているからではなく、
 「別に、好きな選手を追い掛けてるだけだから。そんな事言われても。」
 と言うだけの話し。奴等には今このクラブに何が起こっているのか、理解する事も、感じる事も出来なければ、例え知ったとしても、自分が入れ込んでいる選手のアルバイト先のシフトや、ブログにアップされる私生活、普段何処に行けば会えるのかの方が大事なのだ。自分の部屋が火事なのに、スナックを頬張りながら寝ころんでスマホを弄っている様な、気儘きままで不可思議な、顔の無い男達。ビッグマックを基点に周遊し、その肥大漢の影に身を隠し、各々が持参した選手の情報や執着をトレードする、深海魚の亡霊。
 「“はるる”に仙台に行ったらくさ、復た、来てくれたんですか、とか言われて、もう、どうしようかいにゃ。」
 去年までキャプテンだった堀内の事を、俺の嫁と騒いでいた奴が、堀内が女優になるとか逆上のぼせて引退した途端、余所の選手に乗り換え、その新しいホステスの無責任なリップサービスを真に受け逆上のぼせている。俺はフロアタムのヘッドを外して中から横断幕を取り出した。応援の準備に専念する以外、奴等のヌメヌメとした生態から逃れる術がない。
 売れ残りの割れた煎餅の様な面をした、ワレセンと呼んでいる男がやってきて、何時も通り独りで勝手に喚き始めた。折れた割り箸の様な腕をペラッペラの胸板の前に組み、一瞥でスポーツ経験も体力もゼロと判る独語症の男。雑誌や単行本で読み囓った受け売りの戦術論を、血の膿の様に垂れ流し、無観客のスタンドに向かってコーチングし続ける。
 「この前の京都戦で4-2-3-1を途中で3-4-3に切り替えたのは良かったっちゃけど。攻撃的でなかといかん3-4-3が上手くいかんかったとは、何時もの4-2-3-1との間にギャップがあったっちゃんね。この二つをスムーズに切り替えるとは、ヤッパ、難しかね。4-2-3-1は、4-3-3と中盤フラット型4-4-2の、中間の形なんやけど。4-2-3-1から4-4-2とか、4-2-3-1から4-3-3とか、4-4-2から4-2-3-1とか、4-3-3から4-2-3-1とかやったら、そんなに手間取らんちゃけど、4-4-2から4-3-3とか、4-3-3から4-4-2とかの切り替えは、そう簡単にはいかんバイ。これはもう大ゴトやもん。その中間の4-2-3-1が今、世界で一番流行っとうとも無理はなかね。それでくさ、3-4-3でも4-2-3-1と近い感じの奴とかもあるとよ。アヤックスとかバルサの中盤がダイヤモンド型の3-4-3とかは、3-3-3-1とか、3-3-1-3とか、3-1-3-3とか細かくゆうたら色々あるっちゃけど、監督がどうしても自分の3-4-3をやりたいとやったら、まず4-4-2から練り直さんといかんバイ。中盤フラット型4-4-2がチームに浸透せんと、監督の3-4-3は絶対に成功せんめえや。」
 崩落した数式の瓦礫の下敷きとなって、成仏出来ずにワレセンが這い回る、空論のラビリンス。此奴こいつも人恋しさに啼く九官鳥の類だ。俺には見えない誰か、自分を否定せず、誉め讃え、認知してくれる、そんな居る訳のない誰かに向かって求愛し、倒錯し続けている。思考と肉体が世間と全く噛み合っていない。遭遇する度に数式の量が増え、症状が重くなっている。その内、自己と他者と社会と宇宙、過去と現在と未来、夢と現実、数式と言語が統合出来ず、区別が付かなくなって、俺は神だとか言い出しかねない。数式の鎖ではりつけにされる受難劇。その幕は既に上がっている。
 ワレセンのカウンセリングなんて御免だ。俺は先ず10m物の横断幕を肩に担いだ。掲示場所の確認はしていない。クラブやスタジアムによって消防法やスポンサーの絡みで五月蠅うるさい処があるが、取り敢えず、ベンチ前の手摺りにでもセットしておくかと思っていると、手を貸してくれなぞ一言も口にしてないのに、脂身を揺らして、バズッたラスボスがのっそりと擦り寄ってきた。
 「観客の邪魔にならない様に、ゴール裏に横断幕を張り出したいのに、クラブがゴール裏を開放してくれないんですよ。本当に困ったもんですよ。他のクラブは皆やってる事じゃないですか。全く、内のクラブと来たら。幾ら私が訴えても聞く耳を持ってくれないんですよ。」
 御自慢の逆モヒカンを逆立ててお冠のビッグマック。俺はその白々しい義憤を氷の様に見詰めていた。パンパンに膨れ上がった肥満体の曲面を、風呂上がりの様に滴り落ちるグダグダの脂汗。言葉を発すると復た一際奇妙な存在だ。汗で変色し、塩を吹いてピチピチに伸び切ったTシャツが、俺に助けを求めてくる。前倒しで梅雨が明け、鰻登りを地で行く暑気の最中に、この宇宙のゴミは人の心を凍えさせる天才だ。
 「じゃあ、あれは何だよ。」
 俺が顎をシャクって促すと、ビッグマックが振り返ったその視線の先で、杉並サポが自軍の横断幕をアウェイのゴール裏に運び込んでいた。昇格を射程内に収め意気上がる杉並のコアサポは十数人。女学館のホームのコアサポの倍。女子の二部だ。東京から福岡へ大挙して押し寄せたと言って過言ではなく、それだけでも圧倒されているのに、この体たらく。抑も、福岡在住の落人で女学館の横断幕を作って運び込んできている奴なぞ一人もいないのに、ゴール裏を開放するも糞もない。クラブにネゴシエイトして拒否られた何て駄法螺だぼらを、良くもまあ胸を張って言えたもんだと逆に感心してしまう。杉並サポがキビキビと横断幕をセッティングしていくのを遠くに眺めながら、俺は話しをはぐらかすビッグマックを、意識の外へ弾き出す事に努めた。
 「代表には事ある毎に、サポカンを開いて意見交換しましょうと言っているのに、それも全く開いてくれないんですよ。前も言った様に、私は後援会に入ってません。会費の金額で、会員を一般会員とプレミアム会員に区別するなんて、これは歴とした差別ですよ。私は絶対認めません。他にも色々と話したい事があるのに。一体、どうなってるんですかねえ、内のクラブは。」
 失点を取り戻せるつもりででもいるのか、ビッグマックの雑言は何時になく熱く、ゴミ箱か馬の尻が喋ってるみたいだ。せめて黙っててくれれば、見て見ぬ振りをするだけで済む物を。好きな選手はベタベタと誉め千切り、クラブの運営と代表には的外れな文句を垂れ流す。これがこの男の思考の総てだった。正義を盾にしてるつもりらしいが、綺麗事を隠れ蓑に、絶対に反撃される心配のない、安全な所から彌次やじを放ち、威張り散らしたいだけの、飛んだ耳汚しだ。身を挺してクラブを助ける気もなければ、クラブへの失望を噛み殺し、アウェイを転戦する俺の忸怩こうでいなぞ知る由もない。その上、
 「ナイトゲームで照明灯の利用料が払えないとかで、一々試合後にスタンドで寄付を募るのとか、みっともない真似しないで欲しいんですよね。今年も入れ替え戦に廻る事になってから、遠征費がないとか言い出すんじゃないかと思って。あんな物はもう見たくないんですよ。どんなに頭を下げられても、私は絶対寄付なんてしませんよ。」
 もう、限界だった。物乞い同然のなりで、銭勘定は指の数だけの癖しやがって。
 「やったら、テメエの糞を婆ァにしたカミさんと、罰ゲームみてえなそのTシャツを質に入れて、金の工面ばしてやらんや。」
 怒りが罵声に着火しようとした瞬間、ビッグマックの背後に、クラブを訴訟問題から救ってくれた尾形さんの姿が見え、俺は間一髪で言葉を呑み込んだ。
 
 
 「東京から良く来てくれましたね。何時もアウェイでお世話になってばかりで。今日はホームゲームを存分に楽しんでって下さいよ。」
 
 
 奥さんと小梅ちゃんを連れて現れた尾形さんの快活な激励が、ビッグマックのグダグダな侮蔑を一瞬にして吹き払った。実業の世界で揉まれた、重厚な物腰から滲み出る、智力と胆力。品格と人徳が緻密に構築した本物の風格に、俺は改めて圧倒された。
 「向こうの連中は未だ、別件でガタガタ言ってきてるんですけど、なあに、返り討ちにしてやりますよ。」
 袖を捲った丸太の様な辣腕で、クラブにとって未曾有のトラブルを、尾形さんは軽妙に笑い飛ばしている。その隣で、女学館が乗っ取られようとしていた事なぞ全く知らされず、サウナに閉じ込められた海象せいうちの様に、首の汗をタオルで拭っている蚊帳の外のビッグマック。尾形さんと較べたら、俺もビッグマックも只の餓鬼だ。大人に成り切れずにスタンドで遊んでいる半端者だ。
 「今から横断幕を張るんですか?手伝いますよ。何時見ても凄いですね。コレ全部手描きでしょ。独りで全部描いたんでしょ。これだけの大きさの物を描こうと思ったら、場所を確保するだけでも大変じゃないですか。矢っ張り、手を掛けて作った物は違いますよね。迫力が全然違う。こういう物は業者とかに頼んで作らせても意味がない。業務用の大型プリンターで出力した横断幕は、幾ら綺麗に仕上がるとは言っても、所詮新聞のチラシと同じ印刷物ですよ。私もね、娘を教えてくれている先生の横断幕を作ろうかなと思ってたんですけど、これを見ちゃうと、業者に横断幕を発注した処で、業者が作った物を金を出して買うだけで、横断幕を本当の意味で自分で作った事にはならないんだなって思っちゃうんですよね。いやあ、本当に凄い。Jリーグのウルトラスの横断幕と遜色ないですよ。女子のチームの横断幕でこれだけの物は他に無いでしょ。」
 尾形さんに絶賛されても俺は戸惑う事しか出来ない。普段なら、この横断幕に見取れる余所のサポーターに幾ら誉められても、
 「俺の幕が凄いんじゃなくて、オマエ等が大した事ねえんだよ。」
 と笑い飛ばしている処だが、ドス黒い丁々発止ちょうちょうはっしを手玉に取る尾形さんの方が、こんな塗り絵のお遊び何かより遙かに偉大だ。
 奥さんと小梅ちゃんにも手伝ってもらってセッティングを始めると、スクール生の子達が歓声を上げて駆け付け、手摺りから身を乗り出して横断幕を覗き込む。初夏の陽射しに映える鉛丹の幕が一枚、復た一枚と広げられる度に、子供達は息を呑み、瞳が弾ける。あの日唯一のまばゆい瞬間。横断幕をセットし終わると、尾形さんが神妙な面持ちで切り出した。
 「なかなか福岡に来られないじゃないですか。今度機会があったら是非一杯やりましょうよ。」
 社交辞令ではない改まった声の響き。そのうやうやしい眼差しを何処かで見た気がした。そうか、そう言う事か。尾形さんの懐の深さが呼び覚ます交情。似てる。塩爺と。該博がいはくな尾形さんに対して、磊落らいらくな塩爺。その地脈は骨太の心根で通じ、がさつな声が、クシャクシャな皺が、大らかな体温が甦ってくる。俺は恐縮しながら、塩爺の前にいる時と同じくつろぎと、拭い切れぬ気拙きまづさを感じた。俺は尾形さんが思っている様な男じゃない。熱いコアサポ。そんな有名無実な肩書きで一目置かれ、期待される罪悪感。しかし、何時までも卑屈な己と乳繰り合っている余裕はない。
 時が来た。フェアプレーフラッグがスタンドの下から覗き、選手入場の準備が進む。俺は振り返って淀んだ大気のコアゾーンを見上げた。矢張り其処には、ビッグマックと愉快な仲間達がベットリと寄生している。逡巡している場合じゃない。分裂応援だけはしたくない。選手達にも尾形さんにも、そんな姿は絶対見せられない。屠殺場に出頭する豚の様に心を棄て、俺はその輪の中に足を踏み入れた。頭を雌に喰い千切られても交尾を続ける蟷螂の雄の様に、今は何も考えず我武者羅にやるしかない。
 コールリードをビッグマックに任せると、天性の音痴が矯正、改善されている筈もなく、後はもう全く応援の形にはならなかった。そうでなくとも、数で勝る杉並サポに、声量、統率された一体感、チャントのバリエーションで圧倒され、ネジ伏せられたホームの声援。ファールを厭わぬ杉並の選手達の強度にピッチを支配され、レベスタのドームが生み出す特有の音響効果で、屋根の鉄骨に乱反射し増長する、杉並サポの雄叫びにガラッガラのスタンドを支配され、ホームアドバンテージを強奪された。杉並の、杉並による、杉並の為の試合。女学館はホームゲームから完全に締め出されてしまった。それも本の数百人の客から、子供達から、そこそこなチャージを徴収していながらだ。
 ビッグマックはビッグマックでゴールを割られる度に一々沈黙した。スネアとスティックを持ったまま、脱力し垂れ下がってピクリともしない左右の腕。クラブの文句を放言していた時の元気は何処にもなかった。本来最も奮起し、選手を鼓舞しなければならないその瞬間に、意気消沈して正体を滅し、仲間達もそれに従った。無理もない。自堕落な肉体が物語る、逆風に押し流され続けた人生。図体がデカいだけで、窮地を打ち砕く武骨なぞ持ち合わせている訳がない。結局、後半の最後は、完全に声を失ったビッグマックを押し退け、俺がノンストップで声を張り上げた。何故こんな男に遠慮をしてしまったのか、後悔する暇もなく、試合は0:4で決した。最悪な結果。しかし、時間が来れば終わってくれるサッカーの試合は未だ増しで、生易なまやさしかった。タイムアップなんて無い、落人達のふしだらな習性に較べたら。
 ホーム側バックスタンドのコーナーフラッグ脇で、背番号8、FWの結城が行き倒れになった子供の様に、大の字で腹這いに倒れている。只、芝生にしているのとは訳が違う。ボールを蹴ってさえいれば、後は何も要らない、チーム壱のサッカー馬鹿。サッカーに関しては弱音どころか溜息一つ吐かない、サッカー愛の申し子が嗚咽おえつする声すら失い、壊滅していた。心配して仲間が声を掛けても一切反応せず、時が死滅した様に全く動かない。凄絶だった。0:4と言うスコアなんて数字と記号の組み合わせでしかなかった。杉並の激しさにシュートを放つ処か、くさびの仕事さえさせてもらえず、潰され踏み躙られた90分。本当に打ち砕かれると人はこうなるのか。己を遺棄し、朽ち果て、いっそこのまま消滅してしまいたいのだろう。兎に角、全く動かない。クールダウンや片付けを終え、人のけたピッチの彼方。打ち破れた光景の片隅に結城は突き刺さっていた。どうやったら彼処あそこまで絶望出来るのか。こうなってしまうと、どんな優しさも相手を傷付けるだけで、他人の掛ける言葉なんて全く意味がない。俺は何も手に付かず、立ち尽くしていた。ビッグマックとその仲間達は結城の哀哭あいこくにすら気付かず、くっちゃべっている。そこへ、何の前触れもなく監督がピッチサイドから上がってきた。
 就任して以来、試合後スタンドに現れるなんて初めてだ。スタッフと混じってベンチの備品を運び、片付けの手伝いをしていた時の、惨敗を噛み締める鬼の様な形相とは打って変わった、静謐な面持ち。厭な予感がした。俺を見付けて真っ直ぐにやってくると、ビッグマックとその仲間達も呼び、最後の授業の様に語り始めた。
 「今日は本当に申し訳ありませんでした。総ては私の力不足による物です。今日の試合結果に関する責任は総て監督の私にあります。言い訳の余地はありません。その上でこれから話す事を聞いて下さい。私は選手に常日頃から、どんな相手、どんなカテゴリー、どんな試合で、自身と相手の力量がどうであろうと、上を目指して、ワンプレーワンプレー、チャレンジし続けなければならないと訴えてきました。監督として、独りの人間として訴えてきました。サッカーだけに限らない。人生の総てに於いて、前進し続ける意志を固持し、体現する事にこそ価値があり、それ以外に現状を打破する道はないと。チャレンジしないのならやる意味がないし、そんな事なら初めからやらなければ良い。それが判らないのなら、判る人材を外から連れてくるしかない。そう訴え続けてきました。しかし、今日の試合、見ての通りの有様です。対戦相手の気魄きはくに圧され、自分達のミスを恐れて、消極的なプレーの連続。否、消極的と言う言葉すら勿体ない。チャレンジ処かプレーする事を放棄して逃げ惑う。あんな物はサッカーじゃない。応援してもらう価値がない。この大事なホームゲームで、昇格の掛かった大一番で、応援しに来てくれた総ての人達の気持ちを裏切った。選手達は私の説いてるサッカーの根元的意義を理解し、実践してくれない。悔しいが私の言葉には限界がある。自分の言葉の軽さに、力のなさに幻滅しました。だからお願いです。君達から声を上げて欲しい。選手達の心に届く言葉で、今の儘では駄目だと伝えて欲しい。どんな状況にあってもチャレンジし続けなければならないと。選手が今日の様な不甲斐ないプレーをしたら、厳しい態度をとって欲しい。厳しい言葉を投げ掛けて欲しい。そうでなければ選手達の為にも成らない。今日の様な、応援してもらう価値のないプレーを続けていたら、本当に総てが駄目になってしまう。」
 対峙する者の胸倉を摑んで放さぬ、腰の据わった眼光。激情を捻伏ねじふせる落ち着いた語り口と、褐色に灼けた精悍な肌から迸る、生身の迫力と苦悩。テレビの画面で成績不振の説明や、敗戦の弁を述べる、電解された音声や映像とも、試合の前後に掠める、「今日も宜しくお願いします。」「お疲れ様でした。」とか言った儀礼とも違う、捨て身の告発。監督の殻を破った、独りの人間が其処に居た。何の心の準備も出来ていない俺に肉薄する、裸の言葉。期待外れな自分自身と、貧乏籤でしかなかったクラブの限界を叫ぶ監督のSOS。酔った勢いで言ってるのではない。監督が俺達の目の前であおったのは劇薬だった。サッカーに取り憑かれたおとこの修羅道に、俺は足を踏み入れていた。実家に愛娘を預け、単身赴任で地方の名も無きクラブを転籍し、何の後ろ盾もなく、毎年崖っぷちで指揮を執っている、殺気を帯びた監督の覚悟。
 俺にどうしろと言うのか。視野の片隅で結城は行き倒れた儘、総てを拒絶し微動だにしない。監督の正論が俺を責め立てる。監督の叩き付けてきた有りっ丈の想いに対して、打ち返せる物も、投げて返せる物も俺は何一つ持ち合わせていない。永遠に埋め込まれた、結城の死に体を引き剥がし、拳の様な言葉でその惰弱を叩き起こす。そんな権利が俺にあるのか。「次、頑張ろう。」「切り替えていこう。」そんな当たりさわりのない言葉を掛ける事すら、今は恐くて出来ない、女学館という泥濘ぬかるみの中で、誰も彼もが藻掻き苦しみ、打ちのめされていた。ビッグマックとその仲間達以外は。
 焦土と化した監督の生き様を目の当たりにしても、奴等はグッタリと、その場に群れ沈殿していた。弛緩した頬、グズグズにけた瞳。瞼は辛うじて開いてはいるが、それはもう滑落する亀裂でしかなかった。ゼラチン質の微睡まどろみをしゃぶる、だらしないその表情。俺はこの顔を、眼を知っている。
 俺の勤め先では元請けから紙で図面が送られてきた時、細部の原寸は三角関数や三平方の定理で弾き出す。CADで図面を管理する時代になっても、原理が判ってなければ話しにならない。処がそのイロハのイを説明をし始めると、ハローワークの紹介で中途採用された新人の大半が、この眼で俺をシャットアウトする。戸惑いでもなく、嫌悪でもなく、拡散した瞳孔からただれ落ちる白けた気分。早く終わってくれと訴えるでもなく、成り行きを傍観する余力すらもない、未来を阻止する、売れ残ったいわしの様な眼差し。履歴書の最終学歴に大卒と謳ってあっても関係ない。学籍を金で買っただけで、中学高校で必修した数学の基礎すら儘ならず、中には習った覚えがありませんとまで言い出す、無資格、無経験、無気力、無体力の漂流物。職を転々としているだけで何も見出さず、始業時刻ギリギリに出社して、タイムカードを押しに来ているだけの、気配を消して会社にコソコソ寄生しているだけの抜け殻。俺も昔はこんな眼をして、所属している会社を世間を侮蔑し、しみったれた自己防衛にふけり、限りある若さを鈍磨していた。だからこそ、反吐へどが出る。
 日給六千円。赤黒く警備灼けしたビッグマックの額と頬に刻まれた、ヘルメットと顎紐の跡。赤灯を振るしか能のない、節も腱も血管も埋まるほどパンパンに肥え、赤子じみた手の甲。工事現場の最底辺で落ち穂を拾う最低賃金のパシリが、俺の隣でボンヤリとその思想と存在を完結している。試合も終わり一息吐いた筈なのに、駄々漏だだもれの汗にままみれ、腐食した貯蔵タンクの様に自重に負けた肥脂の塊。他の仲間はその背後に、富士壺の様に固まって息をひそめている。此奴等こいつらにとって、監督の哀訴は三角関数や化学構造式と同じ、意味不明で面倒でどうでも良い物でしかないのだろう。
 監督はサポーターに真のサポートを求めていた。しかし、誰からも声が挙がらない。身を切る様な言葉以前に、生返事の一つも漏れてこない。非情な温度差で区切られた沈黙の中、ワレセンが独り、組んだ腕を解かず、鶏ガラの様な躯を頑健に陽灼けした監督の脇に並べて、余計な数式を並べ始めた。フォーメーションや選手交代のタイミングについて斜に構えた質問や意見を繰り返し、総てを曝け出した監督に纏わり付く、壊れた戦術オタク。初めの内は丁寧に受け答えていた監督の眼差しから次第に、研ぎ澄まされた閃光と、ドスの利いた潜熱が奪われていく。そして、真逆まさかと思う間もなく、決意の結晶だった監督の瞳は、ビッグマック達の醸し出す薄汚れた倦怠に感染し、滑落する亀裂の底に溶け落ちていった。ワレセンの数式を浴びながら、適当に相槌を打ち始めたのは、最早、魂の漢ではなかった。徒労に打ち負かされ、燃え尽きた監督の鬼魄が、褐色の地肌と相俟あいまって敗戦国の焦土に視えた。監督の左右の瞳が在った処には今、二つの穴が空いている。その荒廃した空洞から外を覗き込むと、其処にはどんな世界が広がっているのだろう。監督の穴を通過した、見る為の物でない視線の先に俺はいる。恐らく、ビッグマック達と同じ、意味不明で面倒でどうでも良い物として。サポーターとか言う奇妙な連中の一人として。
 数式の止まらないワレセンを置いて、素通りする様に監督はピッチサイドへ降りていった。捨て台詞もなければ、引き留める素振りをする者すらいない。招かざる客が去り、コーヒー一杯で、開店から閉店まで居座る、他に行く処がない連中の溜まり場に逆戻りするスタンド。微かにホッとしている自分に気付いて、俺はゾッとした。数年振りのホーム参戦で見出したかった、マイクラブへの猜疑を振り払う切っ掛け。初めて単独応援した、あの時の昂揚を再生出来るかもと言う淡い期待がこの様だ。間接視野に深く抉り込む、行き倒れたままの結城。その脇に突き立つコーナーフラッグが、地の果てを印す標識に見える。永久凍土に閉じ込められた絶界。恐らく其処が俺と女学館の行き着く先だ。結城の小さな背中が暗示する、見捨てられた未来。その遙かなる荒涼が呼び覚ます、奇妙な懐かしさ。女学館と出会う以前、場末のスタジアムを誰とも交わらず梯子していたあの頃。緩やかな落下速度がいざなう偽りの安らぎが、試合後の疲れた身体に、そっと寄り添ってくる。廃線になった駅のホームで、来る筈のない列車を待っている錯覚。止め処なく漏れうつろう随想。その片隅で何かがザラつき、割り込んできた。
 ビッグマックの背を盾にして隠れていた、顔の無い仲間達が首をもたげ、脱皮する幼虫の如くモゾモゾとうごめき始めたかと思うと、湖の底に殺到するレミングスの様に、フェンス際の最前列に我先にと駆け降りていく。正体を無くしていた海綿体のにわかな充血。ピッチサイドとスタンドを繋ぐ階段を、覚束ぬ足取りで揺らめきながら誰かが上ってきた。真逆まさか、監督が戻ってきたのかと一瞬緊張が走る。しかし、俺達に監督が二の矢を放つ価値はないし、金魚の糞がビッグマックから鞍替えして、自ら矢の的になりに行く理由もない。奴等が群がる甘い蜜といったら、相場が決まっている。片足を引き擦るその足音で俺は気が付いた。
 階段を上がってきたのは、結城とツートップを組んでいたFWの横田だった。クールダウンは終えたのだろうか、ユニフォームも着替えず、手櫛一つ入れてない乱れ髪に絡み取られた、タイムアップ直後と見紛うばかりの憔悴しょうすいした面差し。身長170cm、グラビアから舞い降りた、サッカー選手には見えない、まろやかでボリュームのある扇情的な肢体と、亜麻色に揺らめくロングヘヤーで、チーム随一の色香を放つ、脂の乗った夏女が見る影もない。結城と共に杉並の獰猛な守備に捻じ伏せられ、惨敗のショックもあるのだろうが、それにしても何処か様子がおかしい。落人達に囲まれて階段の踊り場に立ち尽くした横田は、被災して焼け出された孤児か、入水しても死に切れなかった遊女の様に放心している。
 こんな試合の後だ、態々選手がスタンドに上がってくる必要など無い。男子の試合なら、怒りの治まらないサポの尻の穴に、火箸を突っ込む様な物だ。それなのに何故。監督が悲愴の告発で自爆したばかりだ。横田も又、吐瀉としゃせずにはいられぬ、虫酸むしずまみれの真実にさいなまれて迷い込んできたのか。俯いた額を覆う、撓垂しなだれて妖しさを増した乱れ髪の隙間から、虚ろな瞳が鈍い光を滲ませている。取り囲む落人を擦り抜けて、スタンドを彷徨さまようちぐはぐな視線。何かを求め漂うその切れ端が俺と交錯した瞬間、横田の瞳の奥に秘めたちいさなしこりが砕け、泣き疲れた様に真っ赤に焼け腫らした顔を伏せた。
 六月のアウェイ長野戦、何時も通り独りで横断幕のセッティングをしていると、試合前のアップでゴール前に現れた横田は、
 「絶対に昇格しますから。」
 とたった一言、脅しにも近い気魄で言い放ち去っていった。横田は今年で女学館を退団する。そう人伝に聞いていた。高校時代から絶える事の無かった怪我との闘い。試合後は何時も足を引き擦って、ロッカールームに引き上げていく。その膝は変形し、一生痛みが引く事はないと言う。所属していた名門クラブが消滅し、一度サッカーから身を引いた。しかし、体の怪我は癒えても、心の支えを失った横田を待っていたのは、無為に過ごす日々だけだった。そこへ手を差し伸べたのが、一部昇格を目指していた女学館だった。何故サッカーなのか。何故怪我を抱えてプレーするのか。その答えを横田は女学館で見付けた。サッカースクールでの子供達の指導を通じて、横田のサッカー観は生まれ変わったという。新しい一歩を踏み出す為の退団。最後の一年に賭ける決意で凝結していたつぶらな瞳。それが今、粉々に打ち砕かれ、濡れそぼつ髪の茨に覆われて、光を失い眼窩がんかに没している。
 「済みませんでした。」
 横田の唇が微かにそう動いた。しかし、取り囲む落人達の熱気とワレセンの喚き始めた数式に阻まれて、掠れた声すら聞き取れない。横田の心神は完全に座礁している。それなのに連中はお構いなしだ糸の絡まったマリオネットにしか見えない、ワレセンの身振り手振りのアドバイス。隣では七三分けのオヤジが横田の頭を撫でながら、乱れ髪から覗く耳元に赤ちゃん言葉で慰め、横田の足許に屈み込んだ傴僂せむしは、膝の状態を頻りに尋ねながら、れた長い足を淫らな視線で舐め回し、そこに根も葉もないクラブ批判を引っ提げて、ビッグマックが割り込み、残りの連中も思い思いに欲情を振り乱している。
 俺は余りのおぞましさに後退あとずさった。横田は自分を取り巻き絡み付く魑魅魍魎ちみもうりょうをガン無視し、微動だにしなかった。今日の試合で犯した罪に対する罰を受けに現れた女を、なぶり尽くす愚か者達。俯いた儘の横田の虚ろな瞳は、単に惨敗を謝罪しに来たのではなく、この俺に八つ裂きにしてくれと訴えていた。不甲斐ない自分を責め苛む事にしか救いを見出せず、落人達の解放区に迷い込んだ、極刑を志願する独りの亡女もうじょ。その絶望に付け込んで、一匹の雌に折り重なる発情した蟾蜍ひきがえる。矢張り此奴等こいつらは女学館という泥船に空いた、パンツの穴だ。この穴を塞ぐのが俺の仕事なのか。
 俺は底が見えない悪夢を見捨てて、掻き毟る様に横断幕を片付けた。一体このクラブは何処まで呪われているのか。結城は地の果てで土に帰り始めている。他の選手達もロッカールームで倒れた墓石の様になっているのだろう。昇格の目が消えて腹の虫の治まらないカンクローの売り言葉を、監督が安く買い叩き、その廻りでリーグ戦ごっこの後片付けをする、ユースの子供達の姿が眼に浮かぶ。マッチコミッショナーは今日の試合運営を、どうリーグに報告するのか。尻窄みの観客動員でスッカスカのスタンドにリフレインする、
 「応援する価値がない。」
 と言う監督の言葉。このクラブが放つ負の引力に巻き込まれて、何もかもが幻滅していく。そこへ、
 「お疲れ様です。」
 杉並サポが充実した表情で試合後の挨拶に現れた。今シーズンの遠征で最も気合いの入った試合での大勝。その余韻を噛み締めながらも、アウェイの現場と言う事もあり、浮かれた処を見せる事はない。後発のクラブでありながら、充実した組織力と機動力を誇る、女学館の寄生虫とは較べるべくもない、折り目正しきウルトラス。関東の現場でしょっちゅう顔を合わせている事もあり、気心も知れていると言うのに、そんな真っ当な姿が、今は嫌味にしか見えない。
 「勿体なかったですよね、前半終了間際の三点目。あれが無ければ違う展開だったと思うんですよ。立ち上がりから凄く飛ばしてたんで、内の選手達、後半はペースが落ちましたからね。あの三点目か無ければなあ。ちょっと余計でしたね。」
 と、気遣って言葉を選んでいるのに、
 「全部余計だよ。」
 その優しさに噛み付いた勢いで、俺はその儘スタンドを後にした。この場から逃れたい一心で力任せに引き擦る過積載のキャリー。ドラムと横断幕に押し潰されて、ベアリングが年老いた驢馬らばの様に悲鳴を上げる。エントランスホールを抜けると、瑞々しい初夏を謳歌する真っ新な空が、リーグの理念やクラブのスローガンの様に、真っ赤な嘘っぱちに見えた。スタジアムを頂く東平尾公園の高台。坂道が掻き分ける新緑の狭間を、空港の滑走路が横切っていく。そのギラついたアスファルトの動線を越え、御笠川を跨いだ先で霞む、小学校を卒業するまで暮らした板付団地。ジャンボジェットの爆音に振り返っては、東平尾の丘の稜線を眼と指でなぞった幼少の日々。その頃は未だ公園も整備されず、スタジアムの青写真すらなかった。アッと言う間の半生。遙かなる眺望。それを今こうして見返しても、“我が心の福岡”なんて何処にも見当たらない。何を遣っても手に付かず不貞腐ふてくされた日々を呼び覚ますだけで、現に今日も復た一つそれが増えた。二十年も前に此処を棄て出て行ったのに、その一度ケチの付いた物に、未練がましく擦り寄った俺が馬鹿だった。
 空港に辿り着いても、待っていたのは、勝ち点三と市内観光で福岡を満喫した杉並の選手達が、手荷物検査の列で上げる黄色い声。しかも、その輪の中心にいるのが、3アシストを決めた突貫小僧で、カンクローと喧嘩別れして女学館から出て行った上條なのだから、気が利いてる。俺は耳を塞いで構内を彷徨さまよった。愉しい週末を過ごした人混みの賑わいが、総て杉並の選手達の笑い声に聞こえる。負けるとは、どの道こう言う事だ。
 東京へ戻る空路。窓の外で福岡市街の夜景がゆっくりと旋回する。地方の勝ち組が放つ実り豊かな灯火に、もうこれで見納めなのだと明滅する雑感。狭い座席にくるまって機体の微動に身を委ねると、報われる事のない疲れが染み渡る。結城は自力で立ち上がる事が出来たのだろうか。檻の壊れた闇の動物園は横田を解放したのだろうか。砕け散った硝子細工のチームを、監督は素手で掻き集めるのだろうか。カンクローはその内、尾形さんの恩を仇で返すのではないだろうか。乗っ取られて代表の首をげ替えた方が、増しだったのではないか。幼き頃から母親に吹き込まれた、人の世を蔑む禍々まがまがしい忠告が、総て正しかったかのごとき、女学館との泥仕合を予告していたかの如き、クラブを巡るまわしき陋劣ろうれつと応報。その阿鼻叫喚に共鳴している俺は、女学館に出会う遥か以前から、自分の内にこの原罪を宿し、育んでいたのだ。女学館とはこの俺の宿痾ぺすとだ。
 「にくじゅうやもん。にくじゅう。」
 窓硝子に反射する、母親に生き写しの細面が、硬直した死相でえたまじないを俺に吹っ掛ける。所詮サッカーも世間を映す鏡でしかないのに、サッカーで俺は生まれ変われる、とか逆上のぼせた挙げ句、盃を交わした訳でもないのに、勝手に裏切られた気になってるのだから、独りよががりにも程がある。そんな風だから、何処へ行っても、さよならを告げる相手すら居ないまま、白紙の履歴書だけを持って去っていく、余所者なのだ。眼下の灯火が途絶え、俺と女学館を流産した街が闇に呑まれると、俺はリクライニングに身を投げ、澄ました面で俺をシカトしている、アイボリーの低い天井を仰いだ。耳鳴りとユニゾンで機内を満たすジェットの呻吟しんぎん。脱力した四肢が重力にたらし込まれて、エコノミーのボソボソとしたクッションに羽交い締めにされると、後はもう、機内サービスの呼びかけに、首をすくめる事すら出来なかった。

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